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by revolver0319

柏餅と米糠の曖昧な記憶

 うちの母親の料理は旨かった。
 素人レベルでは最高峰クラスの旨さで、天才だったのかもしれない。

 子供が嫌いそうなきんぴらごぼうや切干大根なども、今にして思うと子供用に味付けをしてくれていたから美味しく食べられ、いまだにそんな昔ながらの惣菜が大好きだ。

 男なら誰しもがが母親に抱く愛おしさを今更文章にするほど落ちぶれてはいないつもりだが、味覚という武器は母親の料理が教えてくれた。



 桜が散り、新芽の芽吹きがまだ緑が薄い時期。
 つまりは今頃になると思い出すのが、なぜか柏餅と米糠の匂いだ。

 米糠の匂いは竹の子を茹でているときの香りだろう。
 昔はどこの家でも、春になれば竹の子を茹でていた。
 
 茹でる前に剥かれた皮の匂いが、トウモロコシと同じ匂いで、いつまでも鼻に押し当てていた。何しろ夏になるとトウモロコシさえ与えていれば何も言わないような子供だったから、春の竹の子の皮の香りは、もうすぐトウモロコシの季節になる予感を感じさせてくれた。

 母親は茹で上がった竹の子の柔らかな部分を少しだけ俺の口の中に入れてくれる。
 新鮮な竹の子は、まぎれもなくトウモロコシと同じ味がした。


 素材の味を知らなければ味覚など語れるはずもない。

 そんな体験が味覚の基礎になったのだろう。



 なぜ竹の子と柏餅が同じ記憶の引き出しに一緒に入っているのだろうか。
 柏餅は5月。だとしたら関東での竹の子は終わっている時期だ。

 
 柏の葉の香りと、味噌が混じった不思議な白あんの味。
 いつもは粒あんだが、柏餅だけは手間をかけてこしあんに。
 そんな記憶ははっきりとしているが、それが竹の子と同じになる理由が分からない。



 新東名から見える薄い緑の山を眺めながら、必死で記憶の引き出しを探りながら、思い出そうとしながらショベルを走らせる。

 数台の先頭を走りながら岐阜を目指し、記憶を手繰る。

 先日、ある集まりでCDを持ち寄ることになった。
 月に一度集まり、価値観を曝け出すという男3人の集まりは、今現在の一番の楽しみで、どうしようもないほどに満ち足りた時間を提供してくれる。

 その集まりにそれぞれ一枚ずつCDを持ち寄ることになった。

 全員が自分以外の二人に「さすが…」と思わせたいと考えるのは当然だ。



 手持ちのCDをじっくりと眺め、何を持参するべきかを考える。
 時間は夜。集まるのは雰囲気の良い店。

 手にしたのはニールヤングの「ハーベストタイム」とCSN&Yの「デジャブ」
 集まるメンバー、毎回語り合う赤裸々なまでの価値観の晒しあい。
 もはやニールヤングしか思いつかなかった。


 だが、当日俺が持参したのはニールヤングではなく、ハードロックのアルバムだった。

 その晩。驚くことにほかの二人が持参したのがニールヤングのアルバムだった。

 俺が「ハーベスト」でも「デジャブ」でも持っていったら、その晩はニールヤングベストナイトとなったいた。

 つまりは俺以外の二人は、まんまとその場の雰囲気にやられて、素直にニールヤングを選択ししたのである。

 勝負だとするならば、あえてそこを外した俺の大勝利だろう。


 記憶の引き出しを明後日も柏餅と竹の子の関係性が思い当たらずに、来月は何のCDを持参しようかを考える。

 名古屋の手前、高速が渋滞しすり抜けをし、後ろのメンバーを置き去りにし、ショベルが快調に走る。
 多少肌寒いが、確実に春が深まり、薄い緑は濃い色に変化し、もうじき初夏の匂いが漂いだすだろう。

 ここ数年の初夏の味覚はヤングコーンの丸焼き。
 それは竹の子と同じ香りで、ほっとする暖かさを与えてくれる。


 味覚の記憶の引き出しと、3人の濃密な時間に流れる音楽と。

 頭の中で流れるのはこの曲で、



 帰ったらアレサ・フランクリンのブルースを聞こうと思う。

 取り留めもない意識と、ショベルの上から見る景色とヘルプレス。


 そうだった。
 ああ、そうだった。

 なるほどそれなら柏餅と米糠だな。

 唐突に蘇る記憶に、ばらばらな思考がひとつに繋がる。


 味覚の良さは負ける気がしない。
 
 
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# by revolver0319 | 2013-04-15 23:04