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by revolver0319

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-月‐

「月を見たんだよ」
「月なんていつでも見られるでしょう」
「違うんだ。まだ明るい夕方に、大きくて白い月が見えたんだ」
「ふーん」
 どうでもいい会話は、どうでもよくない時間の中で流れていく。冬の夜空の下で、僕達は「第二公園」と呼んでいる公園の中にひとつだけある街灯の下で話をしていた。
「月は全部見えてるわけじゃなくてさ、ほんの少しだけぼんやりと見えて、でもすげーでかいのが分かって、まん丸だってことも分かるんだよ」
「月は丸いもの」
 少し微笑む彼女。
「違うんだよ。まん丸なんだよ。野球のボールみたいな・・・」
「球体」
「そう言うんだっけ。まん丸でさ、奥行きもあった」
「少ししか見えなかったのに、立体的な球体だって分かったんだね」
 その通りだと、肯定の意味をこめて僕は激しく頭を振った。曖昧になることなく、はっきりと記憶に残る30年近く前の光景。
 その公園で二人でときどき会って話をする。携帯なんて存在を想像することもなかった時代だ。僕は彼女の家の前で、ホークⅡというバイクを何度か空ぶかしして、その公園で待っていると、彼女が後から歩いてやってきた。
 同じ歳の彼女。名前は知佳。幼稚園から中学まで同じ学校だった。頭がいい彼女とはその後まったくかけ離れた世界にいたが、それでもそうしてときどき夜の公園で会っては、なんとなく話をしていた。
 最近のニュース。世界情勢。音楽、映画、文芸作品。彼女は僕の知りたいことならなんでも知っていた。唯一僕の知識のほうが上だったのは野球とバイクのことだけで、会話はいつも僕の質問ばかりだったように思う。
「何でさ、荷物のない部屋って声が響くんだろう」
「音が反響する場所がないからでしょう」
「引越しのときに、荷物がなくなった今まで暮らしていた部屋で、音が響いてさ。あれは悲しくなるよな」
「うん。寂しくて悲しいね。」
 そんなどうでもいい話し。
「キース・リチャ―ズがときどき両手を離してギターを弾くのは何なんだろう」
「オープンチューニングにしてあるから、それでもちゃんとした和音になるんだよ」
 2月の寒い夜だった。星が綺麗で、月が自信に満ち溢れているような態度で輝いていた。少しだけ風が吹いて、その瞬間の僕が感じたことを知佳が言葉にした。
「あっ。春の匂いがするね」
 その日初めてキスをして。僕は彼女の手を握った。

 何者にもなれないと薄っすらと自覚してきていた僕は、それでも自分が何者なのかを知りたくてもがいていた。高校卒業を控えた知佳は毎日毎日、自分の左手をデッサンして、美大の受験の準備をして。少なくとも絵を描いて自分になろうとする目標を持っていた。バイトをするのでも、誰かと遊ぶときでも彼女は“絵を描く時間”を最優先にして、それは美大に入学してからも変わらなかった。

「その袋は何?」
いつもの公園で会っているときに、僕は尋ねた。
「岩絵の具。日本画で使う絵の具だよ。地味に思われがちだけど発色がよくて、凄く綺麗なの」
 大学で日本画を勉強していて、でも花鳥風月なんかにはあんまり興味がなくて、岩絵の具でもっと綺麗なポップなものを描いてみたい。
 彼女はそんな風に言って、自分の世界観をみつけつつあった。

 僕達はそれからあまり会わなくなっていく。僕は食うために仕事をして、バイクで奥多摩やオオダルミ峠や椿ラインをいかにして早く走るかに情熱を燃やして。何者にもなれなくてもバイクに乗れていればいいかもしれないなんて思い始めていた。

 二十歳になったときだ。久しぶりに知佳から連絡がきて「公園にきて」と呼ばれた。僕はFX750というバイクを知佳に見せたくて、それに乗っていった。

「モリワキとかヨシムラが主流なんだけどさ。俺のはカーカーっていうメーカーなんだ。いい音なんだよ」
 何も成長していない僕をみて、知佳は優しく笑ってくれた。
「うん。いい音だね」
 そして1枚の画用紙を僕にくれた。そこには濃い目の鉛筆だけで、薄い靄のようなものが何個か書かれていて、それが明るい空に浮かぶ月の断片だということがすぐに分かる。断片だけでも、それが大きな球体なんだと想像できる、凄く綺麗な絵だった。
「ずっと前に話してた月。覚えてる」
 知佳の言葉に反応できずに、画用紙から目が話せなかった。
「知佳は。知佳は天才だな」
 僕は正直にそう思った。こいつはとんでもない画家になるなと思った。
 
 風が少し吹いて、僕はすかさず「雨の匂いだ」という。もうすぐ梅雨がやってくる初夏だった。知佳は「うん。雨の匂いだね」と嬉しそうに笑って、そしてキスをした。


 それが僕達が会った最後だ。何かあったわけではないし、家は近かったけれど、それぞれの生きる道がかけ離れすぎていて、知佳からは数回年賀状がきて、僕は何かしら疑問を感じると「今度知佳に聞いてみよう」なんて相変わらず考えていたくらいだ。知佳が卒業後「個展のお知らせ」が届いて観に行ったが、タイミングが悪くてその日は会えなかった。
「来てくれたんだね」その日電話がかかってきた。
「会いたかったな」弱さを見せることなんてなかった知佳がそんあことを言うのは初めてだった。
「いつでも会えるだろ」
 僕はそう言って、第二公園を思い出す。


 話したのは。そのときが最後だったと思う。
 僕は生きるためにもがいて。それでも何者にかなりたくて暴れて。出来ることは何でもやろうと決めて。それでも分からないことがあると知佳を思い出して。時間の流れの速さを知り、自分の生きる道を探し当てたときには40を超えていた。

 知佳以外とも何度か恋愛をして、一度は結婚にも失敗をしてきた。
「季節の匂いを感じる」ことのできない女性には何の魅力も感じないのは変らないままではあるけれど。

 文章を書くことで自分が何者かを見つけようと気がついたときに、やはり思い出すのは知佳だ。日本画家の世界の大御所から花鳥風月を嫌う知佳は嫌われている。だから日本画家協会にも入れずに、美術会での活躍は難しいらしい。一度フランスの小さな美術館が常設展示の話をもちかけたが、それも日本画家の大御所が裏で潰したらしい。

 そんな風の便りをときどき聞いた。それでも知佳は必死に書き続けていたとも。

 最後に知佳に関する風の便りが届いたのは最近だった。

「知佳が亡くなったようだ」

 言葉を現実として受け止められない。亡くなるっていう風景が思い浮かばない。悲しみというよりも、なんだか違う世界の話を聞かされているようなきがした。

 葬儀に行くかどうか迷った。
 今更という気持ちもあるし、知佳にも結婚して子供もいるかもしれない。その家族に会うのが嫌だった。

 生まれ育った町の新しい葬儀場は、第二公園の近くに建てられていた。知佳の祭壇には絵が沢山飾られていて、その全てにタイトルがつけられていた。
 そして写真の変わりに「自画像」というタイトルの絵が真ん中に置かれている。それが彼女のやり方なんだと納得できる。
 棺の中で眠る彼女は、会えなかった20年の歳月を顔に刻んではいたが、二重のまぶたで、きっと目を開けばまだクリクリのままなんだと想像がつく顔で。どこかの町で偶然出会っても「知佳」と迷わずに呼べそうな気がする。
 不思議と涙が出ることもなく、やっと会えた知佳をみて、僕は何だかほっとしていた。彼女は生涯独身のままでいたらしい。
 会場の中は祭壇だけでなく、回りの壁全てに彼女の絵が飾られていた。いつかどこかで日本画家協会員に会ったら、誰であろうと「この節穴野郎」と罵って殴ると心に誓った。

「大森さん?」名前を呼ばれた。
 振り返ると知佳の母親がいた。
「ご無沙汰しています」頭を下げると知佳の母親は微笑んで。
「ずいぶん変わったわね」とそこが自分の娘の葬儀の場だと忘れたかのように笑った。
しばらく昔話をして「ちょっと見て欲しいの」と頼まれて会場の受付に行くと、彼女の母親は額に入った一枚の絵を僕に渡した。
「いつかみたい風景」
 タイトルが張られたA4ほどの絵画。
「これは大森さんにあげるのよって。知佳が言っていたものですから。よかったらもらってあげて」
 
彼女の母親はそういうと、その場に崩れ落ちて泣いた。僕は立ち尽くすだけで、何の言葉もかけられずにいて、自分の無力さを罵る。

帰り道に第二公園によって、また絵を見る。
「いつかみたい風景」には、僕達が育った町の上に、ぼんやりと浮かぶ月の断片が、岩絵の具で描かれていた。もちろん、それは完璧な球体であることが分かるような月。あのときの画用紙よりも何百倍もグレードの高い。天才にしか描けない絵。

 僕は溢れる涙を止めることもできずにそこで声を上げた。

 
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by revolver0319 | 2010-01-27 17:32