フリーライターです。書き綴ったものを載せてます。


by revolver0319

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春の入り口でおもうこと

机を捨てて、新しい天板に変えるための準備をしていると、机の引き出しの奥から一通の手紙が出てきた。

宛名はもちろん俺宛。几帳面な文字は女性らしい美しさが込められている。

「大森茂幸様」
ああ。俺の名前はこんなに美しいのか、なんて感じながら眺める。

差出人は母親。
中身は何年も前の日付の印鑑証明と住民票に、簡単な中にも俺を心配する手紙。

きっとろくでもないことで、母親を保証人にしようと企んでいたが、印鑑証明も住民票もそのままということは、その悪巧みが行われることはなかったのだろう。

何をしようとしていたのかは、まったく記憶にないけれど、こうして亡くなった母親の直筆のものがあるということはいいな。雨が降ったりやんだりで、どことなく弱気になっていた俺は、「そうかぁ」なんて意味もないことを思いながら、やるしかないよなぁ。

そう、いいきかせる。
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by revolver0319 | 2012-04-26 22:36
来月号のVIBESTHEATERの原稿の一部。
なんだか新境地を見出せるような気がする。
どうなることやら・・・。




 部屋の中にこもった熱気を逃がそうと障子を開ける。その瞬間に後ろではっとして着物で自分を隠したであろう彼女を感じる。
 障子を開けたとはいえ、背丈ほどの椿の生垣で目隠しがされているし、その中には竹薮があり、間違っても部屋の中が見えるはずもない。青い葉を元気に湛えた梅が植わった庭の中も、夕方早いこの時間に歩く人はいないだろう。
 それでも障子を開けた瞬間に、どんなに疲れ果て、ぐったりとしようとも素早く身支度を整える彼女に、なんともいえない愛おしさを感じる。
 熱気を逃がしながら煙草を吹かす。襦袢だけを羽織った彼女が、背中に抱き付いて頬を当てる。煙草を灰皿でもみ消すと、振り返り、彼女を抱きしめると口付ける。彼女は背中に回した手を必死に伸ばすと、障子を一生懸命閉めた。愛おしさが増して着たばかりの彼女の襦袢を乱暴に剥ぎ取ると、その乳房を手で包み込む。
 頭を後ろにのけぞらせた彼女の首筋に唇を当てると、先ほど放ったばかりだというのに、自分の身体に力が漲っているのが分かる。40も過ぎてのこの元気さは彼女のおかげなのか、だとしたらずいぶんと単純な男だと思う。
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by revolver0319 | 2012-04-17 16:55

男の決断について

数名しかいないとはいえ、このブログの読者ならば我らがTJ先生のことをご存知だろう。
ラーメンが大好きで、すでに研究家と呼んでもいいくらいのラーメン通でもある。

一部の卑しい人間が「TJは『大勝軒』から金をもらっている」とか「新たな形のアフィリエイト」だとか。

いやあれは新たな新興宗教を目論む作戦で、その証拠に大勝軒に誰かを連れて行くことを「折伏」といい、大勝軒のラーメンを食べることを「勤行」と呼んでいるではないか。
いまやTJは勝価学会所沢の支部長で最近では勝教新聞の発行や「ラーメン革命」という本の執筆まで始めている。

などという噂がまことしやかにあちらこちらで囁かれていますね。

まあ本人も「大勝軒」を「神の味」などと言ってはばからないので誤解を招くのもしかたありません。

そんなTJ先生がついに中部地方に乗り込みあの「スガキヤ」実際に店に行ったら「sugakiya」だったのに驚きながらも、ついに対決のときをむかえたのである。


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メニューは無難なセットを選択。レンゲではなくスプーンが付いているのをみてTJ先生は鼻で笑った。
「わかってねーな」とでも言いたげだ。

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しかもスプーンはこんな形である。TJ先生の額の血管がピクリと震えたのはいうまでもない。
「馬鹿にしているのか。店主を呼べ」といつ叫んでもおかしくはない。

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どうにか気を落ち着けて実食。

とこの後TJ先生の顔色がみるみる変わっていくではないか。

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馬鹿にしていたあのスプーンでスープを飲むと。

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「辛抱たまらん」とばかりに直接ぐいぐい飲み干す。

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サングラスを外し夢中で完食したが「おいおい写真撮っていたのかい。今の写真は困るよ君」なんていいながらも満足顔。

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ついには看板前で記念撮影。
まさかの宗教変えが行われるのか・・・。


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「なんだねー。スガキヤを食べた翌日は快便だね」なんていいながら野糞。その姿もカッコいいTJ先生なのでした。
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by revolver0319 | 2012-04-09 22:41
 ガラス越しに感じられるのはやっと来たかと思える春の陽射し。目の前の藤棚は最近まで枯れ果てたかのような冬の姿だったが、今日は芽吹きの息吹が感じられた。
 その陽射しを浴びながら、窓辺の4人用テーブル席でひとりで親子丼を食べている彼女は、小さな顔を隠してしまいそうな、大きなどんぶりを抱えるようにして、擬音をつけるなら「ムシャ、ムシャ」しかありえないように、何度も口を動かし咀嚼する。健康促進委員会なんてものがあったとしたら「彼女こそ理想です」と、絶賛するくらいによく噛んで飲み込む。それでもぐちゃぐちゃと音を立てるような不潔感はなく、しっかりと口を閉じ、綺麗な動きで食べ続ける。
 小さな顔の割には少し大きめの口がエキゾチックな印象の顔立ちに、膝丈のピンクのスカートに、ベージュのPコート、まるで大好きな映画の絶対に見逃せないシーンを見るかのように、真直ぐ前を向いてもくもくと食べる。その彼女のおかっぱの黒髪は春の陽射しできらきらと輝いている。
 その彼女の姿は大勢の男から見たら好印象だが、ひとつだけ違和感を感じるのは、箸ではなくスプーンで親子丼を食べていることだろう。箸で食べていたら完璧だったであろうが、今時の子らしいスプーンをマイナスと見ても彼女は容姿や食べ方は綺麗だった。
 都内、皇居お堀近くにある大学の学食。380円の親子丼を美しく食べる大学生。それが彼女だ。
 背筋を伸ばし、真直ぐ前を向いて、黒髪を陽射しで輝かせながら食べ終わると、お茶を飲む。どんぶりと湯飲みをトレーに乗せて立ち上がると、食器返却口にそれを置いて。
「ごちそうさまでした」と学食の職員に一言。
 食後は広い学校内を散策しながら、午後の講義が始まるのを待つ。スカートに合わせた磨きこまれたローファーも春の陽射しに輝く。
 獣医学部のある大学構内には多くの動物が飼われている。顔の真っ黒な羊の群れの中に生まれたばかりの子羊が4頭。母親に付いて回る微笑ましい光景に「元気に育てよ」なんて声を掛けてみる。
 授業が終わり、帰り支度をしていると友達から声を掛けられる。
「ねえ。行くでしょう今夜のKコンパ」
 彼女はどんなに怒っている人間の心でもおだやかにしてしまいそうな、満面の笑みで。
「ごめーん。パス。また今度ね」と断る。
「えーっ。たまには顔出してよ。K大生もあなたが来るならって張り切ってるのよ」
 きっと彼女ならどんな大学のミスコンに出ても上位入賞は間違いないだろう。そんな顔立ちで性格もおしとやかなのだから評判にならないわけがない。しかし本人にまったくその気がないから他校とのコンパなどには目もくれないし、明治から続く文武両道をいまだに謳っている校風の学校なので「ミスコン」なんてもってのほかだから、彼女にとっては居心地がいい。
 ひとりで校内の森の中にある音楽堂と呼ばれる教会のような建物に入ると、そこに置かれているピアノの前に座る。蓋が閉じられたピアノの前で背筋を伸ばし目をつむる。
漆黒という言葉がふさわしい磨きこまれたグランドピアノ。金色で「STEINWAY」の文字が輝いている。乾ききった木は埃ひとつなく、そのピアノがいかに大切に管理されているかがわかる。
目を開けた彼女は、蓋を開けると滑らかに鍵盤に指を滑らせ、ベートーベンピアノ協奏曲第5番「皇帝」を奏でるが、すぐに止めてピアノの大屋根を開ける。
そこには目立たないように小さな文字で「寄贈昭和20年『大本由加里』」と書かれている。いつもそれを目にするたびに、終戦の年にピアノを贈ったのだから、財閥かあるいは皇族関係の方なのだろうかと考える。
屋根を開けるとまたベートーベンを弾こうとしたが、気分が違った。カーデガンの両腕を捲り上げると、ビル・エバンスのジャズ「Waltz For Debby」を轢き始めた。
最初はオリジナルに忠実に、徐々にテンポを上げると、大胆なアドリブを加えながら頭を振るように鍵盤を叩く。まるでベートーベンを弾いていたときとは別人だ。
テンポを落としながら原曲に戻るのかと思わせて、最後はボサノヴァにアレンジして、約15分の演奏は終わった。最後の不協和音のサスティーンが消え入りそうなときに、拍手が起こる。
目を閉じて自分の世界に入り込んでいた彼女が驚いてみると、年老いた仏文科の教授が微笑んで拍手していた。
「ごめんなさい」まるで少女のように椅子から飛び降りて、彼女は深く頭を下げる。
 おじいちゃんのような教授は、にこやかに「なにも謝る必要なんてありませんよ。すばらしい演奏だった。エバンスのボサノヴァアレンジなんて初めて聞きました。すばらしい」
「ジャズなんて弾いてしまってすみません」彼女は顔を赤らめてまた謝る。
「なぜジャズがいけないんですか。大いに結構ですよ」教授は微笑んだまま続ける。
「校風や音楽堂の雰囲気で、ここではクラシックしか弾けないと思い込んではいけません」
 教授は何かを思いついたような、いたずら小僧のような笑顔で「いい話を教えてあげましょう」と語りだした。
「そこに書かれている『大本由加里』さんのことです」
「この寄贈してくれた方ですね」
「そうです。みんな良家の子女だと思っていますが、彼女は『口入屋』の女将さんです」
「口入屋ですか・・・。藤沢周平さんの時代小説に出てきましたね・・・。」
「おやおや、藤沢周平を読んでクラシックやジャズのピアノを引くなんて、なんだか大本由加里さんみたいですね」
「そんな方だったんですか」
「そうですね。口入屋は簡単に言ってしまうと建設業なんですがね。当時は口入屋だとなんだかえばったように言っていましたね」
 その大本由加里さんは、初台の農家で育ち、若くして地元の口入屋に嫁いだ。口入屋を興した旦那さんもまだ若かった。その旦那さんが「俺には学がなくていけない。子供に口入屋なんて継がせたくないしな。そこいくとお前は頭がいいから今から大学に行け」と言ってこの学校に優秀な成績入学してきたんです。
 しかし古い校風というのは裏返せば、了見の狭い保守的なだけな人が多い。農家の娘でしかも結婚もしているのに大学なんてもってのほか。どうしてもというのなら、もっと格下の学校にいけばいいって、彼女を排除しようとした力がありましてね。
 それでも彼女は気にする風でもなく、常にトップの成績でいたんです。反対派の人たちはそれも気に障ったのでしょうね。嫌がらせに近いことまで始まりましてね、見かねた学長が間に入って、彼女に成績優秀だから短期間で卒業を認めると言い出したんです。
 つまり卒業できるのだからいいだろうと、彼女を早々に追い出そうとしたんですね。そうしたら彼女は両親や旦那さんに相談するわけでもなく、学長に。
「学長先生。先生は確か長州の出でしたね」
 なんていい始めましてね。
「長州や薩摩のお侍は日本の未来のために御上を倒したんではないんですか」
「きみ、滅多なことをいうものではないよ。御上を倒すだなんて」
「誤解されたらこまります。私たち江戸の人間が言う『御上』はあくまでも徳川さんですよ。天皇はその上の方。御上だなんて軽々しく言えませんよ」
 学長はたじろぐ。
「若いお侍さんたちが、大勢犠牲になって作ろうとした日本は、問題があれば話し合うこともなく簡単に片付ける道を選ぶような国ではなかったはずです」
 学長は女学生にそこまで言われて顔を真っ赤にする。
「国を作り直そうというのは大いに結構。でも、お侍が流した血の上にあぐらをかいて財閥だのなんだのとえばられても困ります。志もなく東京、東京って意味もなく江戸に来る人を『山猿』って言うんですよ」
 優しそうな顔はしているが、江戸時代の生まれの学長は、部屋の隅に置かれているサーベルを手に取った。
「ええい。女子供とはいえ、誰に口を聞いているのか分かっているのか。そこに直れ、叩き切るぞ」
 大本由加里は和服の膝元をぽんと叩いてその場に正座。
「言いたいことは言わせていただきました。どうぞ切るなり焼くなりお好きなように」そういうと懐から女物の短剣を取り出す。
「先生が一振りで首を落としてくれないと、痛みでみっともない姿をさらすかもしれませんから、先生がその刀を振り下ろすのと同時に喉を突かせてもらいますよ。ご勘弁ください」そういうと目を瞑り、短剣の切っ先を自分の喉にあてがう。
 爆発しそうな緊張感が部屋を覆う。生き死にの駆け引きなら学長も何度もしてきたが、それも一昔前のこと。しかも今回は女が相手である。
 そこに騒ぎを聞きつけた守衛が駆け込んできた。
 普通ならそこで大本由加里が学校から追放されて終わりだが、駆け込んできた守衛が厄介なことに旗本上がりで初台近辺をよく知る者だった。
 いくら学長だとはいえ、幼い頃から知る娘を追放させるわけには行かない。どうしてもというなら、私はここで腹を切る。守衛の男はそう言い張った。
「どうせ維新で捨てた命。みっともなく生きながらえてきたがやっと死に場所を見つけた」
 最後にはそんなことまで言い出し、この騒ぎが大きくなったら政府からも大目玉をくらってしまうだろうと考えた学長が折れた。
 そうして彼女はひとりの友達も出来ないまま主席で卒業を迎えた。
「大本由加里とはそんな人なんだよ」
「すごいですね」
 もうひとつ。大本由加里が問題を起こしたことがあるんだ。教授はおかしそうに彼女に説明してくれた。
 学生が一気に増えた戦後。この校舎だけでは賄えなくなってできたのが、おもに理数系の学生が通う神奈川の校舎なんだが、その校舎を建てるときに卒業生から寄付を募ったんだ。すると大本由加里は烈火のごとく怒り出した。
「伝統ある学校を都落ちさせるとは何事か」ってね。
「都落ちですか。凄い話ですね」
 ともかく神奈川に新校舎を建てることに反対した大本由加里は、私財を投げ出してでも都内に校舎を作らせようとしたが、さすがにそれはまずいとなった。それでは戦後にいただいたこのピアノが校舎の狭い教室に置かれているので、大本由加里の寄付金で音楽堂を建てさせてもらおうということになって、この建物が出来たんだよ。
 教授の説明に、彼女は驚いた。
「寄贈ってピアノだけではなくて、この建物もなんですか」
 吹き抜けの高い天井を見上げる。春の陽射しがステンドグラスを輝かせている。

 戦争が終わった年に、食べ物も着る物も何もないけれど、せめて学生には豊かさを持って欲しいと、空襲から必死に守ったこのピアノを大本由加里が寄贈した。大金持ちのはずの財閥系の卒業生はまず自分たちを守ろうとしていたときに、自分たちの家業がどうなるかも分からない暮らしの中で、唯一残った財産を差し出したのだ。
「教授は大本由加里さんに教えていたんですか」
「まさか。僕よりも遥かに年上だよ。彼女がこの学校に通っていた頃に僕はまだ生まれてもいないよ」
「あら。すみません。でもどうしてそんなに詳しく知っているんですか。大本由加里さんのこと。ジャズが好きだとか、時代小説を読むとか」
「ああ。うちにはジャズのレコードや時代小説が沢山あったんだよ。大本由加里さんはね。僕の母だよ」
「えっ」心底驚いたように彼女は教授を見つめる。

 そのとき外で大きなバイクの音がした。しばらくして入ってきたのは革ジャンにパッチだらけの革ベスト。よれよれのジーンズに汚れたブーツを履いた男だった。
「あれ。今大丈夫ですか」男が教授と彼女を交互に見ながら聞いた。
 この男は学校に似つかないハーレーでやってくる調律師で学校では有名人だ。
 男のハーレーがやってくるたびに嫌な顔をする学生も少なくないが、彼女は遠くから見る分には嫌な感情は湧かなかった。
 何でも有名な調律師で、ヨーロッパの有名マエストロから指名されることもあったらしいが、自由に旅をしたいという理由で、好きなときにしか仕事をしないらしく、この大学も年に2回調律をお願いしているらしい。
「音に狂いはなかったようだが」
 教授が調律師に言う。
「一応見ますよ。数少ない仕事ですから」
 そう言ってベストのポケットから音叉を取り出す。いくつかの鍵盤を叩いて、37キーのAを音叉で確認し、チューニングハンマーでいくつか叩く。
「どうだい」教授が俺の耳に狂いはないだろうとばかりに聞いてくる。
「なんでもいいから弾いてみて」調律師は、まるで友達に頼むかのように彼女に言う。
「えっ。私ですか」彼女が聞き返そうとするが、音叉を耳に当てて「早く」と仕草でせかす。
 彼女が「皇帝」を奏でると調律師と教授はじっと聞いている。
「もういいですか」恥ずかしそうな彼女は数分で演奏をやめてしまった。
「確かに狂いはないね」
「そうだろう」
「でもばあちゃん好みじゃじゃないな。クラシックならいいけど、ジャズにはもう少しね」そう言うと調律師はまたチューニングハンマーを振り出し、いくつかの現にウエッジを付ける。最後に確認するように自分でピアノの前に座るとビル・エバンスを弾きだした。
「ほら。ジャズにはこっちのほうがいい」調律師が笑う。
「ここでジャスを弾くのは彼女だけだよ。あとはクラシック専門だ」
 教授の言葉に調律師は。
「それじゃ君のためにこの調律のままにしておこう」と悪戯っぽく微笑んだ。彼女は調律師にとても好感を感じていた。
「もうお分かりだろう。うちの息子だよ」教授が調律師を紹介する。
 いったい何度驚かせられる日なんだろうか。彼女はそうおもいながら悪い気持ちはしなかった。

 バイク乗りの調律師と付き合い始めるのは、それから8ヶ月先のことだった。
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by revolver0319 | 2012-04-03 18:10

寿司と歌舞伎と・・・

「何言ってるのよ。わけわかんない」
 普段は大人しく、慎ましやかだと思っていた彼女が声を荒げて、僕を睨んだ。

 彼女はとても綺麗な顔立ちをしている。小さな顔の中に二重の大きな瞳と、小さな鼻。口は少し大きくそれがエキゾチックな雰囲気を醸し出して、道行く男が振り返るくらいの綺麗さだった。
 僕よりも20も年下の彼女はしっかりとしたこで、まったくたいした収入もなく、ぐうたらと生きている僕のことに文句を言うわけでもなく、彼女の休日に僕がバイクで走りに行ってしまっても怒ることもなかった。

 そんな彼女に「別れよう」と切り出したのは僕だった。他に好きな子が出来たわけでもないし、彼女が嫌になったわけでもない。むしろ、モデル並みのルックスで性格もよく、ウエストも細いのにEカップある胸など文句なしに僕の理想に近かった。

 ただ、まだ20代後半で、明るい未来がいくらでも待っているであろう彼女の将来を、僕というバイクに乗ることしか頭にない男のために、大切な時間を潰してしまうのが申し訳なく思ったから。

 それがたてまえだとしても、結婚する気もないし、真面目に働く気もなく、時間と金があれば日本全国をブラブラ走りたいだけの僕が、最近では旅に出る前に頭の片隅で「彼女にに悪いな」と思ってしまうことが嫌になっただけだった。

 彼女とのセックスを考えると別れるのは躊躇されたが、考えてみるとやはり僕は彼女をそんなふうにしか見ていなかったということだろう。

 だからまったくもって悪いのは僕のほうで、だから睨まれてもしょうがないのだが、僕は睨んだ彼女の目が、亡くなった祖母の、あのときの目にそっくりだと思って、ぞくぞくとしてしまった。

 たぶん小学校低学年のころだ。祖母と歌舞伎を観に行った帰り道だ。もっとも僕は歌舞伎になどはまったく興味がなく、退屈なだけだったが、月に二回は祖母に連れられ、歌舞伎座や国立劇場に行っていたので慣れてもいたが。

 歌舞伎の帰りは銀座で食事をするのだが、いつも行く寿司屋が、不幸事があって閉まっていたので、違う寿司屋に入った。

 初めて入るその店のカウンターで、僕は赤身を、祖母はコハダを頼むと、瞬く間に僕の赤身がづけ台に置かれた。

「ちょっと板さん。うちの孫に妙なもん食べさせるんじゃないよ」
 祖母は家にいるときから常に和服で、背筋がぴんとしていて、とても行儀がよく、今でもよく覚えているのは、とにかく食事の食べ方が綺麗で、その所作にほれぼれとするくらいだった。

 当時は今と違い生物の流通も時間がかかっただろうし、冷蔵庫だってその性能が雲泥の差だろう。寿司などは魚の柵を注文が入ってから切り、握るの当たり前だった。少なくともいつも祖母といく寿司屋はそうしていた。

 その日初めて入ったその寿司屋は、切り分けられていた赤身を握ったのだ。祖母はそれが許せなかったようだ。

 背筋が伸びた祖母の張りのある声に、板前は頭を下げ、マグロの柵を切って握りなおした。
 祖母はにっこりと笑って、寿司を少しつまむと「生意気言って申し訳なかったね」といつの間にか用意していたぽち袋を懐から取り出して、カウンターの中の板前全員に配った。

 何かがあると祖母はぽち袋や祝儀袋をよく出していた。家業が「口入屋」と呼ばれていたが、少し大きな工務店や建設業だと考えてくれればいい。土地を拓くところか解体、新築、内装、庭造りと仕事は多岐にわたり、それぞれの業種の職人が毎朝初台の家に集まり、それぞれの現場を指示するのだが、当時の東京はオリンピックが終わり、少しは落ち着いていたが、それでも建築ラッシュの真っ只中で、毎朝戦争のような状況だった。

 家は平屋の母屋と廊下で繋がった事務所のような建物。中庭は50坪ほどで梅と松が植わっていたのを覚えている。

 事務所の横には100坪ほどの広場があり、そこにトラックが10台ほど止まっていて、朝は職人たちが溢れかえっていた。

 事務所と言っても引き戸の玄関があり、10畳ほどの土間と、20畳ほどの板張りがあり、板張りの真ん中には囲炉裏がある。祖母は毎朝その囲炉裏の前で帳面を見ながら的確に指示を出し、荒々しい職人たちを動かしていた。

 現場仕事が遅くなって、なかなか帰ってこない職人がいると、祖母は事務所の囲炉裏に炭を起こし、そこで酒肴の準備を始める。

 汗を流し泥にまみれた職人が戻ると、酒を振舞い、「今日は呑んで疲れを取っておいで」とぽち袋を渡す。どこかの職人が結婚したり子供が出来たりすると、どこからかそれを聞きつけ、立派な祝儀袋を渡していた。

 うちに出入りする何百人もいる職人で、祖母と直接口を聞けるのはほんの数人だ。いつも板間の囲炉裏に陣取る祖母は職人から見れば、上座の殿様のようなものだろう。その周りには冬でもさらしだけで上半身裸のいかつい男たちがいて、たいていはその男たちが職人の相手をするからだ。

 そんな祖母が直接ぽち袋や祝儀袋を渡すにだから、もらうほうは押戴くという感じだった。

 祖父は僕が覚えている限り、仕事をすることはほとんどなかった。月に数日事務所に顔を見せるだけで、それ以外はぼんやりと庭を見ながら祖母が作った肴で酒をのんだり、土日は背広を着込みハンチングをかぶると、競馬や競輪に出かけていた。

 祖母も祖父も優しかったが、祖母にはどこか恐ろしさがあったので、正直僕は祖父のほうが好きだった。いつもニコニコした好々爺といっ佇まいで、酔った祖父の杯に酒を注ぐと、僕の頭を撫でては小遣いをくれた。

 何でも家は祖父が一代で興したらしいが、あの優しい祖父がよくもこんな荒々しい世界で生き残ったものだと思っていたが、時々朝の事務所に祖父が顔を出すと、怒鳴り叫んで指示を出すさらしの男たちが一斉に緊張したり、いまでもよく覚えているが、僕が小学三年生の春休みのことだ。

 庭で遊んでいると戻るはずもない時間にトラックが戻ってきて、事務所で大声が飛び交った。祖母が慌てて事務所に行くと、どこかの現場で揉め事があったらしく、数人の血だらけの職人が運び込まれ、元気な男たちはツルハシやスコップなどを持ち、仕返しにいくとトラックの荷台に乗り込んだ。

 庭先で酒を飲んでいた祖父は、騒ぎの間に背広に着替えていて、喧騒の事務所にやってくると「車を回してくれ」と静かに言った。

 祖父は週末どこに遊びに行くにもいつもバスや電車を使ったし、祖母も芝居を観に行くときにはたいがいが電車で、時々タクシーを呼ぶ程度だ。

 家にはピカピカの自家用車があったが、それを使うことは滅多になかった。

 荷台で息巻いていた職人たちを事務所の板の間に入れると「おい。準備してやれ」と祖母に命じ、祖母は返事をするわけでもなく、すっと立ち上がると、手伝おうとする家のお手伝いさんを断って、瞬く間に酒肴の準備を整えた。

「ご苦労さま。あとは俺が行くよ」
 祖父がそういうと、誰一人逆らうことなかった。

 数日後の日曜日、喧嘩の相手だった建設会社一同が事務所で土下座していたのは祖母に対してだった。祖父は「松戸で競輪だ」といい朝出かけてしまったらしい。

 祖母は「まあまあ」といい、その日はお手伝いさんに準備させた酒肴でもてなし、帰りには「本当に申し訳なかったね」と30人ほどいた全員に「帰りの電車賃だから」とぽち袋を渡した。

 相手方は頭を下げて断ったが、一度出してしまったものだからと祖母がいうと両手で受け取っていた。

 そのぽち袋が全員に1万円が入っていたと大騒ぎになった。何しろ職人が泥だらけになって働いても日当が二千円の時代だ。相手側が数日後に着物の反物をお返しにと持ってきたが、祖母はがんとして受け取らなかった。

 その会社の職人の家が火事で焼けてしまったと聞いたときにも「お見舞い」と何十万かの見舞金を持たせていたという。

 そんな祖母だ。

 祖母は子供の僕をよく寿司屋や鰻屋、天婦羅屋などに連れて行く。時には神田のやぶそばに行き蕎麦の食べ方をレクチャーされたので、僕は今でも蕎麦の猪口切りができるし、今時のグルメ気取りがバカらしくも見える。

 祖父と祖母には5人の子供がいた。「口入は一代限り」が祖母の口癖で誰にも後を継がせようとせず、子供全員に教育を徹底させた。
 うちの父親は三男で、大学教授になり結婚した。しばらくは初台の家の敷地内にい家を建ててすんでいたが、しばらくすると仕事の都合で神奈川県に家を建てた。

 祖母はそれに激怒した。多摩川の向こう側に住むなんて考えられなかったのだろう「都落ち」と父を罵ったらしい。

 大正生まれの祖母は代々初台で育った。江戸時代から郊外の農地だった初台だが、そこは家康公のお膝元。厳しい年貢を課せられることもなく、先祖たちは平和に暮らしていた。渋谷や千駄ヶ谷と違い武家屋敷もないが、目の前の代々木には旗本の下屋敷が並び、またその旗本たちが地元の百姓に優しかったらしく、そんな時代を知らない祖母でも「薩摩や長州の山猿が」と死ぬまで言い続けたくらいだ。

 自分たちはそんな徳川家の恩に報いなければならないと思い込んでいたのだろう。それは代々江戸の初台を守ることだと思っていた節もあるから、僕の父が神奈川などという田舎に行くことが、心底許せなかったのだろう。

「孫は毎週家に帰すこと」
 という条件でどうにか祖母の怒りは収まったらしい。その結果僕は毎週ひとりで初台に行くことになった。

 僕は中学生になるとグレてしまった。何故かと問われても答えようがないのだが、ともかくグレてみた。
 それでも日曜日には初台の家に行き、祖母と銀座や浅草を歩いた。

 ある日曜日。初台の家の使っていない部屋。何しろ平屋とはいえ初台の家は部屋が20ばかりあった。開かずの間同様の部屋で僕はタバコを一服楽しんでいた。

 するといきなり襖が開き、祖母が立っていたのである。

「何してるんだい」
「えっと・・・。」
「ガキのくせに煙草かい。吸ったってかまわないが、そんなもんは自分の稼ぎでやるもんだよ」
 ぴしゃりと言われた。

 ガキの僕は動揺しながら。
「うるせえばばあ」と言ってしまった。

 そのとき。
 祖母が僕を睨んだ。
 決して怒りの目ではなく、かといって寂しそうと言うわけでもなく、なんだか背中をそっと撫でられたようなゾクッとするような目つきだった。



 まぁ一言でいってしまえば、面倒くさくなって「別れようと」と告げると、大人しくて綺麗な彼女は。
「何言ってるのよ。わけわかんない」
 そういって、あのときの祖母と同じ目をしていた。

 僕は、背中を、そっと撫でられたような、そんな気分で、彼女の、瞳から、目をそらす。


 あの日から初台には毎週通わなくなった。

 最後に祖母と歌舞伎を見たのは僕が高校生のとき。
 国立劇場で尾上菊五郎が十八番の「忠臣仮名書講釈」を演じたときだった。
 その頃には歌舞伎のおもしろさも充分に分かっていた僕は、見せ場の菊五郎に向かって、最高のタイミングで「音羽屋」と掛け声をかけた。
 
 芝居が終わり、劇場を出ようとしたときに「いやーいい掛け声だったね」と年配の方数人に声をかけられると、祖母は誇らしげに。
「うちの孫は小さい頃から歌舞伎を見てるからね」
 と微笑んだ。

 帰り道。銀座まで歩こうと宮城内を抜けるときに、祖母は僕の手を握った。
「何が食べたい」祖母の問いかけに。
「回転寿司ってしってる」と聞いてみた。
 きっと回転寿司なんかに祖母が入ったら大騒ぎになるだろう。
「なんだいそれは」
「いや、いいんだ。なんでもない」僕は祖母の手を強く握って。
「こはだが食べたいな」と呟いた。

 その翌年に祖母はなくなり、初台の家には入りきれないほどの弔問客がやってきて、それぞれが祖母の人柄を語って酒を飲んでいた。



彼女の目を見られない僕は、寿司が食いたいな。
そんなことを考えていた。
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by revolver0319 | 2012-03-08 19:12

春なんですね

全国5,6人いたはずのわたくしのブログファンの皆様。きっとなかなか更新しないので3,4人になってしまったことでしょう。

なぜこんなにも更新しないのかといえば、そこは大人の事情
「面倒くさい」
があったからです。お察し下さい。

真冬に更新し、すでに春です。このままでは年に4回しか更新しないブログになってしまいます。いいかげんに心を入れ替えて頑張っていこうと思います。

なにしろ「これはブログネタに使える」と思って更新しようとすると、翌日にはもっと面白いことが起こってしまうという日々。いったいどこで区切って更新すればいいのか分からなくなっていました。

それでは九州から帰ってからの日々をダイジェストでお送りいたしましょう。

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1月はゲートブリッジの下でキャンプ。

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革ジャンに囲まれて仕事したり。


って・・・。ちょっとまてよ。もっと何かあったはずだ。
スパイスパーティーしたり、内藤家で飲んだり・・・。

猫を飼いだしたり。

あれ、たいして面白くないぞ。

なにかもっと面白いことがあったはずなんだが・・・。

ってなるね。久しぶりだと。

ブログってもっとこう、日々の流れを書くのではなく、もっとこう書くことがあったはずだ。
そんなやりかたすら忘れてしまったようだ。


「神のラーメン」

年末のことだ。
サンシャインチョッパーズの忘年会を兼ねたキャンプにでかけた。
待ち合わせは圏央道のパーキング
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なぜか分からないがそこからの仕切りはTJ先生。
真直ぐ会場に向かうのかと思っていたら。

「これからお前らに神の味を教えてやるからついて来い」
と強引に写真のラーメン屋に。


ちなみにほんの少し料金所で送れた誉はTJ先生が「神の味を前になっとらん」と、完全に置いていかれてしまいました。
神の味は厳しいものです。

暖簾の前でまずは大勝軒の歴史と系譜の勉強です。
なんでも二種類あるとかで、池袋系となんちゃら系があって今回はなんちゃら系の直系とのこと。

直系や二次団体あるいは亜流もあるらしく、勉強だけで約2時間続き最後に試験です。
答えを間違えると鉄拳制裁です。
全員が顔をぼこぼこにされ、どうにか答えられるようになると、次は暖簾の前で二礼二拍手一礼です。ちなみに池袋系は二礼四拍手一礼らしく出雲大社の流れを汲んでいるらしいです。

お参り後にTJ先生が「祓えたまえ、清めたまえ」と腹から声を出すと、それに続いて。
「神の味を敬いて、私たちは神の徳を得て運を添う」と大声で叫びます。

もちろんひとりでも噛んだりしたら鉄拳制裁でやり直しです。

4回目でどうにか入店です。

注文は中華そばです。チャーシューやワンタンなど頼んだらその場で射殺間違いなしです。


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来ました。神の味です。
全員笑顔も会話もありません。そんなことしてたら両目に爪楊枝を5本ずつ刺されます。

勘違いしてはいけません。これは食欲を満たす「食事」などではなく「修行」です。オウム風にいえば「ラーメンクンバカ」です。TJ先生のもとみんなで修行なのです。

もちろんラーメンが出てくるまでは椅子に座らず床に座禅で「修行するぞ、修行するぞ」を唱え続けます。

麺とスープが同時に減っていくように食べるのが基本です。

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ふと見るとTJ先生はスープをこのくらい残しています。

何をするのかと思ったら上半身裸になり残ったスープを右肩左肩頭頂部の三回に分けてかけはじめました。
いやはや奥深いものです。

これはステージの高い人にしか出来ないらしく、俺たちは残りレンゲ3杯ほどになったラーメンスープを鼻から飲みます。

その頃には徹底的な洗脳でそれすらも自然とできました。

ちなみにTJ先生は今年から、食べる前に爪楊枝を5本ほどスープに入れて汁を吸い込ませ、それを懐に入れて歩くという、より高いステージに行かれたようです。

食べ終わると「ターイショウ、ターイショウ、タイショタイショタイショウ、タイショウケーン」という歌を大声で歌いますが、もうこれを歌う頃は完璧なマインドコントロールにより全員で涙を流します。

店を出る頃にはもはやTJ先生なしでは生きられないとさえ思ってしまいます。

恐いもんです。


僕はその後
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大勝軒被害者の会によるヒザマクーラで洗脳から解き放たれましたが、仲間たちはいまだ帰ることが出来ず先週も大勝軒直系の店での儀式に参加していたようです。


僕はいまならいえます。
大勝軒なんてたいして上手くないからね。基本的に「魚介系」という味の素の味だからね。

秩父の
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イノシシソバのほうが断然旨いよ。


なんていったことがばれたらまたTJ先生による監禁による洗脳が始まることでしょう。

今後このブログが更新されなければ俺がオセロ中島ばりに家賃滞納して家にTJ先生といると思ってください。

そりゃあ激太りするよ・・・。


って、ブログってこんな感じいいんだっけ?
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by revolver0319 | 2012-02-29 19:56

新年なんですね!!

今更ですが、私のブログ更新を楽しみにしている全国5,6人の皆様あけましておめでとうございます。

大晦日から3日まで家に閉じこもり、ひとり孤独な正月を過ごしていました。

起きるとおせちツマミにビール飲んで、雑煮を食べる。くだらないテレビに飽きると昼寝をし、目が覚めると日本酒と雑煮で読書という、年明けから体重増量まっしぐら。

本気でひとりが好きなんだなと再確認いたしました。

年明けの瞬間に裏山の神社にお参りに行ったときにちょいとぶち切れしそうなりましたが、年明け早々切れてはいけないとぐっと我慢できたあたりに成長も感じられますね。


食っちゃ寝を5日間繰り返し、6日かからは九州行きです。

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有明からVIBES組みと富樫とでフェリーに乗り込み、到着までの2日間はもちろん食っちゃ寝の繰り返しです。まったくブレることはありません。


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食っちゃ寝に飽きると読書です。家にいるのとまったく同じパターン。
2012年ブレない男ナンバー1に早くも決定でしょう。

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徳島からぶち切れキャラになったおきやんも参加し九州に到着。

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九州組みと門司で合流し7日間の旅が始まります。

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さすがに毎日30台くらいで走っているとイライラすることも沢山あるけど、一緒に走ってない奴に「台数が多いとそういうのが駄目なんだよ」なんて言われるともっとイライラします。
そのへんの面倒くさいのもブレません。

まぁバイク乗りになら分かってもらえるでしょうが。

旅の話しは来月号のVIBESで。それ以外は会ったときにいくらでも話します。
写真で想像してください。

ひとつだけ。

17歳のときに九州を一周していて、あまりの貧乏旅行で、すべてテント箔で有料道路も走れず、毎食菓子パンをひとつでした。
まぁいい思い出ではあるのですが。

日南海岸を走っていたときに、ドライブインに寄ると、竹に刺したちくわを焼いていてそれがとても旨そうだったけれど、やはり食べることは出来ずに菓子パンを買ったのがなんともみじめで忘れられなかった。

鹿児島で合流したきんさんルルさんが途中で団体から外れて「日南を走る」というので、俺と富樫もそちらに参加。17歳の俺が食べられなかった高い食い物を好きなだけ食ってやろうと走り出した。

30年前の「ドライブイン」は「道の駅」に変わっていて、記憶の中のあった建物の何十倍も立派になっていて、日南の海だけが変わらずにとても綺麗なまま。17歳の俺はいなくて46歳の俺がいて、何の問題もないということに気付く。

あのとき頑張って走って、辛かったけどバイクに乗り続けた自分を少し誇らしく思う。

ひとりだった俺は大勢の仲間と走っているのだ。「歳をとった俺も悪くないだろう」ってガキだった俺に教えたくなる。


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また道連れがあれば参加して少しイライラするんだろうけど、こんなのも悪くないな。

帰りにひとり旅ができたらもっとよかったけれど、正月も明けたばかりでそんなことも言ってられない。



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これは最後に食べたラーメン。

TJ先生。大勝軒の女神が揺らいだ味だったぞ。


てなわけで今年もよろしくね。
フェイスブックも始めました。
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by revolver0319 | 2012-01-17 20:47

T爺

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 陽だまりの下で大好きなタバコに火をつけて、初冬から真冬に移ろう季節を全身で感じながら、大きく息を吐き出す。真っ白なそれはタバコの煙なのか、それとも寒さのせいなのかどちらかははっきりしないけれど、そばにいる仲間たちの笑い声を聞きながら、そんな時間が自分にとって一番幸せな瞬間なんだと彼は確信したはずだった。
 
 そのとき、仲間の喧騒が瞬間消えて、彼の周りにしじまが訪れる。

 消えない胸の痛みがまた押し寄せる。いつまでも、きっといつまでも生き続ける限り消えることはないのだろう。

 今では家庭もあり、子供たちも成長して若くして孫にも囲まれている。自分の好きなことで飯が食えるようになっているのだから、少しばかりの辛い思いくらい我慢できるくらいの堪え性はある。

でも。たったひとつだけ、ほんの小さなたったひとつのことが、彼の胸に痛みの種を植え付ける。

20年以上前のことだ。何も定まらない生き方の中で、人とは違う生き方がしたいと、誰もが考えることを考え、その結果金さえあればいいだろうと、ヤクザのような不動産会社で働いていた。

いつかはハーレーに乗りたいとは考えていたけれど、それはまったく雲をつかむような、たんなる憧れでしかなかった。

当時付き合っていた彼女は、地方から出てきたばかりの事務員だった。素直な性格がとても可愛らしかったけれど、ちょっと地味で、景気が良くて派手に浮かれていた時代だったからか、そこだけを直させようとしたけれど、いつも彼女は「これがいいんだよ」と微笑んだ。

彼が「それじゃいやなんだ。どこかに連れて行くのも恥ずかしいだろう」と怒ると、寂しそうに笑いながら「ごめんね」というだけだった。

そんな日は決まって少し酒を飲みすぎて、翌朝起きたときに、彼女が隣にいることを心底ほっとしたものだった。

「別れよう」言い出したのは彼だった。
「なんで」彼女はいつもどおり寂しそうに笑うだけだった。

 そんな他愛もない話だ。
 
 たったひとつ、約束をしたことがあった。

 彼がバイクが好きだったので、一緒に走りたいと彼女も教習所に通い始めた。

 原付すら乗ったことのない彼女は、しょっちゅう擦傷を作りながら、それでもニコニコと教習所に通っていた。

「免許が取れたらどんなオートバイに乗ろうかな」
 確か今日のような冬の陽射しの中で彼女が聞いてきた。

「俺さ。いつかハーレーに乗りたいんだ」

「じゃあ私もハーレーに乗ろう」
ハーレーが何かも知らないくせに、彼女は、まるで陽射しの中にいるはずの妖精か何かに宣言するようにそう言った。

「いつか一緒にハーレーで走ろう」

 そんな約束をしたことがある。

 何故なんだろう。地味だから、もっと自由でいたいから、そんなつまらない理由で別れを切り出した。

 そして、今でも彼女のことが忘れられない。まったくもって身勝手な馬鹿な男の戯言だ。

 その後に結婚して、何度か浮気をしたこともある。浮気相手なんてすぐに忘れた。でも、彼女のことだけは忘れられない。

 ああ、雨でも降らないかな。
 優しい陽射しの中で彼はそんなことを願っていた。
 そうすればせめて、傘でこの身勝手な自分自身を隠せるのに。

 どこのミーティング会場でも、ひょっとしたら彼女が現れるのではないか思っていて、そして帰るときに胸の痛みを抱えていた。

 元気でやってますか。うまくやっていますか。幸せに暮らしていますか。・・・君に、君の前に、胸を張って会いにいける日はあるのですか。

 タバコを地面に投げ捨てて「消えちまえ、消えちまえ」とつぶやきながらブーツで何度も踏み潰す。

 仲間の喧騒が聞こえて
 自分の幸せってなんなんだろうかと、ぜんぜん分からなくなっている。

「消えちまえ」もういちど、小さくつぶやいて彼は立ち上がり、仲間に笑顔をみせた。




























































この物語はフィクションであり、写真と文章にはなんら関係もない・・・・はずです。
 
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by revolver0319 | 2011-12-25 18:33

新マシーン購入しました

師走ですね。
忙しいですか?
俺はそうでもありません。

先日秩父夜祭で目の前に上る花火を楽しんできました。

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しかし冬でも祭りはいいもんですね。飲め飲めと散々飲まされてとっとと寝てしまいましたが、なんだか「夜祭」というくらいだから明け方まで続くようです。

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秩父あたりの名物らしい珍達ソバ(ラーメンね)を初めて食べる。

取材で秩父に向かう途中に、関越で目の前を走る車が、追い越し車線で居眠りをしていたようで、いきなりものすごいスピンを始めて自爆。

怪我はなかったと思いますが、目の前の車が高速でスピンするって凄いな。


秩父の翌日に茨城に取材で、今度は峠でBMWの200万のバイクがクラッシュ。
こちらも怪我はなかったが、恐らく廃車で、全員テンションだだ下がりだ。

でもって帰ってきてテレビ付けたら「フェラーリ9台とランボルギーニ、クラッシュ」のニュース。
このニュースは自然と笑みがこぼれるような、久しぶりの明るいニュースでしたね。

「フェラーリオーナーの気持ちになってみろよ」と叱られても、絶対にその気持ちにはなれないのですみません。


で、フェラーリは買えないけれど、これ買いました。

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昭和30年代のブリジストンの実用自転車

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このライトの渋さ

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ブレーキはワイヤーではなく棒でリンク

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サドルはこんな。

これで2000円。これからレストアしようと思います。現状ではタイヤが駄目なくらいで一応走ります。

ピカピカにしてみたいけどな。

自転車に乗るのか?ときかれても困るのですが、なんとなくこんな芸術品のような自転車を土に戻してしまったら申し訳ないような気がして引き取ってきました。


http://snapla.jimdo.com/
せーじがホームページ作ったので、みんなリンクよろしく。

12月の福島ラバーズは未定です。極貧なのです。1月の九州道連れは行きたいのですがピンチです。
まずは自分の年越しを考えさせていただきます。
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by revolver0319 | 2011-12-09 22:51
さて皆様、TJ先生のパンチのない反撃ブログに。
「プロのブロガーとして恥ずかしくないのか」と、多くの意見をいただいておりますが、TJ先生はプロのブロガーではありません。

一応シルバー方面が本職でブログは副業ですからね。

そんな話はどうでもいいですね。



先日横浜から生まれて初めてシーバスに乗ってみました。

横浜から山下公園までなんてまるで観光客のようですが、若いころから親しんだこの街と自分の間に、確かに漂っているはずの暖かい感情を確認しながら、海の上から、目を離すとすぐに景色を変えてしまう街並を再確認する。

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嗚呼。あの頃いつも何かに怯えながら、それでもいつもすべてを睨みつけて。「ランドマーク」なんていう高いだけの建物が「みなとみらい」なんていうセンスのかけらもない街の中に立つなんてことを想像もせずにいた。




なんていうセンチメンタルな気分はゼロで、横浜に行った目的はこれ。
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中将にサインやら握手をしてもらう。



本題
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先日『亀山うどんよりも「浪江ヤキソバ」のほうが旨いのであろう福島ツーリング』が大雨の中決行されました。

現地の安斎御夫婦に案内してもらい、楽しい時間を過ごせました。

そしてこれ。
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思ったよりも黒くないし、べちゃべちゃでもありません。
そして調子に乗って「大盛」を頼んだら並みの倍量という、見た目だけで腹一杯な量。

いろんなもんを吟味した結果。

5対3でみそ焼きうどんの勝ち

いやー。焼きうどんは本物ではなくあくまでもインスタント的なやつでの勝利なのであしからず。


浪江ヤキソバは残念でしたが

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大内宿の蕎麦もうまかったし、民宿は最高だったし、やはり福島は最高なわけですね。
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by revolver0319 | 2011-11-26 20:43