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by revolver0319

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標高 大石内蔵助3

「山のためよ」
 黒目がちな綺麗な二重がきりりと前を見つめてそう言うと、同姓の女性でもドキリとさせる魅力がある。


 それほどの美女と付き合っていて、同じ部屋でテレビを見ることが許され、そのうえキスまでされてしまう幸福な男、白石耕太。中学からバスケ部に在籍し、高校に進学しても続けていた。だからといって耕太が飛びぬけた身長ではなく、173センチのクラスでも真ん中くらいの平均的な高さでしかない。

「小さかったら高く跳べ」そんなコピーのCMを見てやりたくなり、なんとなく面白いから続けているだけで、全国を狙えるようなレベルでもなく、若さというやり場のないエネルギーを発散する場所にしているだけであった。

 身長も平均的なら成績も平均的で。タバコを吹かしたこともあれば、一夜限りの家出も体験済みだし。胸が張り裂けそうな恋もしたし、死にたくなるような失恋も経験し、彼女のおっぱいを揉んだことだってある。“青春”ということに対して足りないとすれば盗んだバイクで走ったことも、夜の校舎で窓ガラスを割って回ったこともないということくらいだ。
 
 友達もいるし、両親に対しても思春期の少年としての正しい態度で接していた。将来に対して「夢なんてない」なんて悲観することもないし、それでもそこまで夢中になるものない。普通の高校生と辞書を引けばきっと「白石耕太」と出てくるくらいだと思ってもらえばいい。
ある日仮病で学校を休み、家でテレビを観ていた。平日の昼間に夢中になれる番組があるわけでもなく、時間があるのにやりたいことも思い浮かばない。そんな自分を少し嫌いになりそうなときにNHKで「緑の砂漠」という再放送らしいドキュメンタリーを放送していた。
 

 日本の林業が盛んな頃に多くの人手が山の木を切り倒した。昭和初期から伐採は盛んになり、肉体労働の仕事は相当な辛さがあったが給料は公務員の5倍以上にもなった。
 たちまちに山は禿山になり、少しの雨でも川は氾濫し、洪水被害が深刻化する。
 利益を上げて邁進する産業は自らの過ちに見てみぬふりをするものである。しかし林業は違った。
「このままでは自分たちの仕事がなくなる」
「次の世代に残すためにも」
 そんな反省の元に禿山に木を植えていった。残念なことといえば、植えたのは30年という速さで育つ杉ばかりだったということだ。
 そんな努力もむなしく材木産業は海外の安いものに押され衰退していく。林業は衰退の一途をたどり、ついには生い茂る杉だけの山を残し風前の灯とかした。

 山では隙間なく並んだ杉が太陽の光を遮り、遠めには緑鮮やかに見えても、地面には雑草すら生えず、虫も寄り付かず正しい食物連鎖も成立していない世界になった。
 白石耕太はそんな番組を食い入るように見ていた。自分がなぜそれほど夢中になるのかすら分からないまま、番組が終わると自転車をで2時間かけて丹沢の山に行ってみた。


 神奈川で生まれ育ち、近くに大きな山脈があり、それが「丹沢」と呼ばれていることくらいは知っていたが、はたしてどこまでが丹沢で、その中にはなんと言う山があるのか。そんな知識もないくらいに「山」に対しては完全な無知だった耕太。適当に山に向かい林道に入りしばらく走ると「登山道入り口」という朽ちかけた看板をみつけ、そこに自転車を置いて坂道を登っていった。
 ジーパンにスニーカー。ロンTという格好でぬかるんだ泥道を歩き、ガレた岩場を有り余る体力だけでガシガシ登る。春から夏に変わりかけている頃ではあるが、山の上に出ればさすがに耕太の格好では寒い。登っているうちは汗をかき気付かなかったが「緑の砂漠」を捜すのに立ち止まると震えるほどに冷えていることに気付き。その日は結局砂漠を発見することはできずに山を駆け下りた。

 家に帰り調べると。そのひ登った山は標高が400メートルしかない日向山という丹沢前衛の山でそのあたりはいまだに雑木林に囲まれた恵まれた環境化にあることも知った。耕太は山の上で吸ったつめたい空気の中に、今までに味わったことのないツブツブを感じていた。今度はちゃんと登ってみよう。翌日本屋で「登山地図・丹沢」という本を買い、日曜日の早朝に鍋割山という山に登った。そしてその途中に「緑の砂漠」をみつけ、耕太の中で何かのスイッチが入った。それからは毎週のように丹沢の山に登り。高校を卒業する頃には丹沢山塊全てのピークを踏んでいた。
 
 卒業半年前に進学しないことを宣言し親を慌てさせ、三者面談で担任に「進学しないでどうする気だ」と聞かれると、耕太はまじめな顔でこう答えた。
「林業をやります」
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by revolver0319 | 2009-07-07 20:51

標高 大石内蔵助2

 二人の休みが同じになるとその前日には里香の部屋に恋人の白石耕太が泊まりにやってくる。いつもはレンタルしてきたDVDを観ながら、何を食べたいかを話し合い、食べるものが決まると出かけるのがパターンだ。もっとも衣食住には最低限の出費しかしない二人が行くのは安い店ばかりだが。
「忠臣蔵を見よう」
この日は里香が時代劇スペシャルという特別番組を見たいと提案してきた。
「チューシングラ・・・?」耕太は困ったような顔をした。
「耕太君知らないの?忠臣蔵。赤穂浪士だよ」
「あっ、忠臣蔵か。何だか殿様の敵を討つやつだ」
「うーん…。アバウトすぎるけどそんなところだね」
 オレンジ色のアウトドアメーカーの大きめなヤッケを着た里香は、ポンポンと耕太の肩を叩いて微笑むと自分から唇を重ねて軽くキスをした。それは議論の話し合い終了を意味していた。
大学時代からその美貌は何かと騒がれていた里香が可愛い仕草でキスしてくるのである、それは男にとって核爆弾くらいの威力はあった。
「付き合って下さい」
 何度言われたか分からないが、里香は一度もそれを受け入れたことがなかった。男と付き合うために大学に来ているのではないという自覚があった。
 女の子の友達に何度も合コンに誘われた。それも一度も行ったこともなかった。ある友達は土下座するくらいの勢いで頼んできた。
「お願い里香。今日だけは付き合って。お金も要らないし座っていれば口をきかなくてもいいから」
 どうやら「長浜が来るなら」という条件でかなり好条件の男子を揃えると言われたらく、そう言って手を合わせられたがそれでも断っていた。
「ごめんね。私は彼氏が欲しくて学校に来てるんじゃないの」
 里香はいつもそう言って断った。その美貌に驕っているわけではない、むしろ周りからは「もっとその美しさを利用しろ」と言われている。
「そんなにまじめに勉強ばかりしてどうするの」とみんなが口を揃えるが、里香は勉強も別にどうでも良いと言うのだ。
「じゃあ何が目的で学校に来ているの」
 友達として付き合いが始まると必ず聞かれた。そんなときに里香はまじめな黒目がちな顔でこう答えていた。
「山のためよ」
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by revolver0319 | 2009-07-07 20:46

標高 大石内蔵助1

雪の上を音も立てずに移動する人影。先頭の男がかぶった左三つ巴の家紋が入った烏帽子が揺れた瞬間、人影が何個かに無駄のない動きで別れた。12月の寒さ厳しい深夜の出来事。
 元禄15年。門が破られると、政治的配慮や、軍事的負い目をものともせずに47人の剣客が江戸は本所、吉良屋敷を襲った。一刻の後には「とったぞー、とったぞー」と言う言葉を合図に、本所屋敷の主人の首が桐の箱に収められ、それを持った47人は明けきらぬ江戸の町を歩く。
 吉良家の親戚筋に当たる武を重んじる伊達家も、本所に住まう幕府の役人も、本来ならばその場で取り押さえるなりするべきであるが黙って見送る。世論の反感を買うことがはっきりしているのだ、好んで悪役に回る者はいない。
 数日後。肥後の国細川家江戸屋敷内。書院作りの客をもてなすその部屋で、丁寧にもてなされ、夕食を終えた大石良雄、通称内蔵助は三方に乗せられた扇子を見て顔色を変えた。その日の朝に幕府より書状で翌日に切腹を申し渡された。
 武士としての仕事をした結果なのだから、自らの命などどうでもよかった、見事腹を切って果てるだけの心積もりはできている。
 身分でいえば大石内蔵助は一介の浪人に過ぎない、本来細川家の座敷に入ることすらできない。その浪人を上座に座らせ土下座で接する細川家家老。
「明日の儀はこちらをお使えいただけますでしょうか」
 そう言って三方を差し出す。
「はて、ご家老様、切腹とはどのような作法で行うのでありましょうか」
 後にこの話は、戦国の世も遠い昔とかした江戸中期の、平和ボケの象徴のように語られた。武士たる者が切腹の作法も知らなかったと。
 これは恐らく面目を潰された幕府
側が言い伝えたものだと考えられる。実際は大石内蔵助を始め、五人の切腹を取り仕切らなければならない細川家が、血や贓物で庭を汚したくないために“扇子腹”で済ませてしまおうとしたことに抗議した言葉である。
 武士の切腹はこの後幕末まであまり見られていない。幕末に“切腹の美学”があった。死をも覚悟の上に本懐を遂げるのであらば、いざ死に行くときは見事に死のうという志だ。
 現実に土佐の武市半平太などは己が腹に脇差を突き刺して横に掻っ捌き、流れ出る腸にかまいもせず引き抜くと、またその上に突き刺して掻っ捌く。これを三度繰り返す三段切りをやって見せ。
「解釈無用」と言って尽きるのである。死に向かう武士とはそのくらいの心持である。47人の剣客たちもそれぞれが腹を切る方法を考えていた。          
それが扇子腹に当てた瞬間に介錯人が首を飛ばすだけで済ませようとするのである「馬鹿にするな」という悔しさもあったであろう。
だが内蔵助も自分たちの無謀が多くの無関係なところにかけた迷惑を知っている。それ以上の文句を言うこともなく口をつぐんだ。
元禄16年2月5日。晴れ渡る冬空の下、3枚引かれた真新しい畳の上で上半身を曝け出し、内蔵助はそっと扇子を腹に当てこの世を去った。
一遍の辞世の句を残して…。

テレビにエンドクレジツトロールが流れ出すと、長浜里香は電話でピザを注文した。      
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by revolver0319 | 2009-07-07 20:43

初めてのブログ

フリーライターです。

書くのが仕事で、仕事以外で書いたものをちょこちょこ載せていきます。

散文だったり、小説っぽかったり。

mixiと重なるものもありますが、気にせずに。

まぁ誰もみないでしょうが、よろしくお願いします。


フリーライター
大森 茂幸
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by revolver0319 | 2009-07-06 13:20