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by revolver0319

クラブハーレー原稿1

 寒さが増した夜空の元でキックを踏む。星が綺麗に輝いている。冬も近いんだろうな。そんなことを考えながら長めに暖気をする。パタパタとリズミカルな音と同時にだす排気が白く見える。まだグローブが薄いままなのに後悔しながら、クラッチを踏んでサイドバルブを走らせる。
 母親は割りと厳しい人だった。包装紙などを綺麗に畳んでとっておくほど物を大切にした。ご飯は残すことを許さず、父の事業が順調で貧しくなくとも、僕のズボンは継ぎはぎがされて、本当に使えなくなるまで履いていた。
ある日の夕方、夕飯の買い物に行く母親について商店街に行ったときだ。金物屋の店先に置かれていた花の種が目に付いた。なぜだろうか。その中で赤い花の写真が写された「ダリア」が目に留まった。どうせだめに決まっていると思いながら「これが欲しい」と母にねだったのを覚えている。なぜか母は優しく微笑みそれを買ってくれた。庭に種を植え、翌年に真っ赤な花が咲いた。花を見ると飽きてしまい、その後ダリアのことを気に留めることもなかったが、その後も毎年花を咲かせていたのは母が手入れのおかげだ。
 ある年に家が増築されダリアが縁の下になってしまったが、いつの間にかカブを増やしたのであろう、ブロック塀と増築した家の間から元気に赤い花が顔を出し母はとても喜んでいた。
「弘一のダリアは元気がいいね」そういいながら。
 毎年花が増えていったが、私が小学校を卒業するころに父の事業が倒産した。家を売り払い隣町の借家に引越し、そのままダリアのことを忘れていた。父はどうにか復活しようと右往左往していたようだが、中学生になった私は急激な変化の中でぐれていった。中学三年のときだ。生まれ育った家の近くをたまたま通りかかると、新しい住人が住む家になっていたが、真っ赤な花が相変わらず元気に咲いていて、それを見て私はなぜだか嫌な気分になりタバコを踏み潰して走り出した。
 父は結局復活することなく、貧しさの中で疲れ果てて死んだ。母が洋裁の仕事をして、私はどうにもならない偏差値の工業高校を卒業して建築会社に就職した。8年で独立し会社を興し、順調に業績を伸ばした。結婚して家を建てたが、母は「ここが落ち着くよ」と借家から出ようとはしなかった。嫁と仲が悪いわけではなく、たまに遊びに来ると料理などを教えてくれていたようだ。
 その頃私は憧れを手に入れた。中学のときからグレて暴走族なども経験し、うるさいだけのバイクにも乗っていたが、当時からいつかはハーレーに乗りたいと思っていた。それもサイドバルブと呼ばれる古いものを。古いバイクを扱うショップに通い'40年代前半に作られたUL。フラットヘッドとも呼ばれる造形美に優れたエンジン。シンプルなフレームに、コンパクトにまとめられた赤いパーツたちが作り出すその姿は、ほれぼれするような美しさがある。
 私がサイドバルブに夢中なっている頃に母に乳癌が見つかった。
 すぐに検査入院しそのまま手術し、成功した。その後のリンパ検査でがん細胞の形跡がみられ、どこかに移転する可能性が大きくなり、そこから抗がん剤治療が始まった。
「脳に腫瘍がみつかりました」病院に呼ばれそう告知された。「このまま見守ってあげたほうがいい」というそれはつまり手術などしてもどうにもならないということだった。それでも体調がいい日が続き、一度退院してきた母が私に。
「弘一。子供のころ住んでいた家を覚えてる」そう尋ねてきた。覚えているも何も隣町である。忘れたこともない。
「今どうなっているんだろうね。一度見てみたいね」母の願いを断る理由は何もなかった。私も10年近く見ていない昔の実家を見たい気持ちがあり、その日の夕方車で向かってみた。何を思ったのか母は「弘一のバイクで行ってみたいね」と言って笑ったが、寒いかもしれないし危険なので「車でいいだろう」とそっけなく答え、そのまま出発した。1時間もあれば着いてしまう道のりだったが、久しぶりに私と二人きりになった母親は饒舌で、今のうちに全ての思い出を語りつくしてしまおうとしているように思える。
「元気になったら弘一のハーレーに乗せてもらおうかね」勝手に決め付ける母の言い方は、脳への転移は知らせていないのに、自分の身体のこと全てを知り尽くした上で言っているように聞こえる。
「ああ。いくらでも乗せてあげるよ」やはりそっけなくそう答える。
 以前は田畑で見通しのよかった交差点は、マンションが建ち元の家は見えない。「ここがあの交差点だね」それでも母は昔の風景と照らし合わせるように、記憶を辿っている。交差点を曲がるとすぐに家があるはずだったが、そこは建物が取り壊された更地になっていて、低い柵で囲まれている。沈みかけたかすかな夕日と、灯ったばかりの街灯の明るさがよけいにもの悲しく浮かび上がらせる。「壊しちゃったんだね」寂しげではあるが、母の声にそれほど落ち込んだ雰囲気はなくなんとなく安心して、車を止めて更地の脇に下りた。
 母親がそこではらはらと涙を流した。低い策の中は一面真っ赤なダリアで覆われていた。
「ああ。あのダリアだよ。弘一のダリアだよ」そう言って母はいつまでも泣いていて。私は目にも見えないような小さな細胞からすら守ってあげられない自分に、出来ることはないのかと奥歯を噛み締めた。
 あれから何年か経ち、株分けをしたダリアは私の家と、両親の墓を赤く彩ってくれている。花が咲くと私は晴れた夜に墓参に来る。夜空の下で花に話しかけるように父母に挨拶をしに行く。サイドバルブを走らせて。
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by revolver0319 | 2009-10-07 22:15