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by revolver0319

汚れた机の上から2

僕たちが奪取した空き地で野球をしていると、毎日見に来るギャラリーが一人現れた。角刈りに剃りこみでそれは明らかに“話しかけてはいけない”部類の種族だと誰もが知っていた。
 いくら都心に近い街だとはいえ当時はまだ危険がいくらでもあった。雑木林や土手で遊ぶのでも、青大将とマムシの違いを知らなければならず、街の中でも踏み込んではならない地区もあり、大人の中には明らかにこちらに危害を加える意思を持った人もいる。それらのルールは命のやり取りに結びついていた。
 そしてそのギャラリーは完璧に“危険人物”であり、マサル君ですら見ない努力をしていた。一つの救いはその危険人物が幼い子供を連れて、どうやら散歩か何かの途中であるらしいことだった。
 危険人物が現れて5日もたったであろうか。
「ちょっとバット貸してみな」
 遂に話しかけられてしまったのである。しかも運が悪いことに、このときバットを持っていたのは僕である。
 貸した瞬間にバットが僕の頭に振り落とされる。頭蓋骨が割れて血が飛び散り、逃げようとする友達も次々…。そんな殺戮シーンが頭に浮かぶ。僕たちの危機にはいつも先頭に立っていたマサル君も、サードのポジションにいたはずなのにいつの間にやらセンターの一番深い場所に避難していた。
 震える手で返事もできずにバットを差し出した。記憶にはないがきっと短い人生の走馬灯を観ていたはずである。
 2時間後。僕たち全員はグラウンドに倒れこんでいた。
 殺戮ではなく、ノックの嵐でばてばてになって立ち上がることもできないほどになっていた。
 危険人物はバットを受け取ると。
「守備に就け」と命令してきた。
 僕たちはそれぞれの守備につき、そこから鬼のようなノックが始まったのである。それは今までの全てを否定された練習、動きの一つ一つを注意され、できないとどやしつけられた。その怒った顔は本当に恐ろしく、僕たちは命令に従い「ハイ」と大きな声での返事を強要された。
「ありがとうございました」
 最後に整列させられ挨拶をする。そして倒れた僕たちに危険人物はこう言った。
「明日も練習だ」
 自由でのびのびとやっていた野球はできなくなった。
 毎日が地獄の特訓が続いた。これが上級生からされる仕打ちならば反抗もできたかもしれないが、何しろ相手は人の2,3人は殺しているような感じである。無抵抗に疲れきってボロボロになる日々。
 それでも当時の体力は凄く、危険人物をいつしか「監督」と呼ぶようになるころには、僕たちは練習についていけるようになっていた。
 監督はほぼ毎日現れた。3歳の息子を連れていて、どうやら奥さんはいないらし。僕たちの誰かは練習の合間に息子と遊ぶ係りをしなければならず、友達以外には鬼のように無愛想なマサル君が、以外にもその息子に一番なつかれていた。
 僕たちの遊ぶ時間の大半は野球に注がれた。僕たちは4年生になり、巨人から長島選手が引退した、引退試合を見ながら僕たちは涙を流した。知らず知らずに野球がうまくなり、僕たちの練習に上級生が参加するようになっていた。
 早い者勝ちに反対し、いつまでも僕たちを付けねらっていた上級生もいたが、その中でクーデターがあったらしく、本当に野球が好きな上級生は僕たちと一緒になりやり始めた。
いつの間にか僕たちは“野球チーム”になっていた。メンバーも揃い、補欠までがいるのである。マサル君と僕はどうにかサードとセカンドのレギュラーを勝ち取った。マサル君のグローブには5-4という数字が書き込まれている「サードで4番」を表している。あの頃みんなが憧れたのは5-4、つまりは長島選手であった。
 さすがに4番は6年生になったので打順こそは違えど、マサル君は大いに満足し、僕もレギュラーでいられることに何の文句もなかった。
 日本で一番住民の出入りが激しい市、もっとも暮らしたくない市に選ばれた僕たちの故郷。その中でも最悪だといわれた街の野球チーム。ユニホームもなくとりあえずチーム名の頭文字から“H”のマークが付いた阪急の帽子を揃えた。
 試合に行くと、相手チームから嫌な顔をされた。とくに応援に訪れた父兄には、露骨に顔をしかめるような連中までいた。
 格好はばらばら、ベンチに座るのではなく地べたに座り、みんなが好き勝手やっている。何より汚く犬まで(ペス)うろついていて、監督がヤクザそのものなのである。そしてこのチームが強いのである。
 そこらのチームのような上品の練習ではない。ヤクザの監督が醸し出す“沈めるぞ”的な雰囲気の中で死ぬ気でやっているのである。当然僕たちは強く、相手の挑発的な態度にはすぐに答え乱闘なんて日常茶飯事。野球も腕っ節も一流だった。
 ヒットを打って一塁に出た僕が、相手の一塁手にからかわれた。こちらが下級生だと思って「汚ねぇなお前ら」などと言われ、頭をポンポンと叩かれた。
 このような状況では相手の下半身にしがみつき、どうにか倒しマウントポジションを取り殴る。そしてその状況下では何も考えずに身体がそのように動くようでなければならない。これはもう街の最低限のルールである。
 ところが下半身にしがみつくと、相手は予想以上の力で倒れない。じたばたしていると審判に止められて引き離された。
 その日は無理すれば2塁に走れるヒットを打っても、みんなが1塁に止まり守備についている奴を徹底して苛め抜いた。全速力でベースではなくそいつに突っ込む。リードを取って戻るときに蹴りや肘打ち、考え付く限りの嫌がらせが続き、遂に1塁手は泣きながらベンチへと下がってしまった。
 そんなチームである。おかしいのは僕たちのチームには父兄の応援は一度も、一人も来ることもなかった。誰もたいしてそんなことは気に留めていなかったが、マサル君は相手チームの応援席をじっと睨みつけていることがあった。
 マサル君は野球以外にも剣道を続けていた。それも相当な腕前になっていて、市の大会では簡単に決勝まで勝ち進んだ。僕は自分のことのように誇らしい気分で見守っていた。
 決勝戦の雰囲気は凄かった。マサル君の相手の親戚一同が物凄い応援をしているのである。後から分ったのだが相手は警察のお偉方の息子で、身内からかけられた期待も半端ではなかったのであろう。
 マサル君は試合に負けた。試合が終わった瞬間、礼をすることもなく面と小手を外して投げ捨てると相手に殴りかかった。瞬殺だった。誰も止める間もなく殴り倒した。
 相手の親戚、審判団、大会委員長までもが繰り出して物凄い抗議をしていた。マサル君の付き添いで来ていた学校の先生は、1時間あまりペコペコと頭を下げ続けていた。
「うるせぇんだ。あいつら」
 マサル君は僕にそういうと、奥の部屋に連れて行かれた。
 
 それから僕たちはどうしていたのであろうか。
 相変わらず野球が強かったこと。
 自転車で土手から見えた東京タワーを目指し、途中で補導されたこと。
 近所にあった沼がなくなり、フナを釣る場所がなくなったこと。
 曖昧な記憶の中にある欠片。
 僕たちは5年生になった。
 夏休み間近の頃だ。マサル君が。
「夜釣りに行こう」
 みんなを誘った。自転車で1時間くらいの海がある。今は千葉と結ばれた高速のトンネルがあるが、当時はフェリーの発着場くらいしかない海だった。昼間には何度も行ったことがある。夜釣りはしたことがなかった。
 さすがに夜に家を抜けられるわけもなく、どんなに悪がきでも当時は10時には寝てしまうのが普通だ。だれも釣りには行けなかった。
 あれはいつのことであったか。いきなりマサル君が聞いてきた。
「俺とシゲチャンはなんだ」
 よく分らない質問に、ぼくはどうにか。
「友達だろう」
 そう答えた。
「違う。シンユウなんだ」
 マサル君は怒ったように言った。親友という言葉はそのとき初めて知ったと思う。その言葉の安心感と温かさは何だか僕を安心させた。
「そうか。シンユウか」
 嬉しくなって言ってみた。
 マサル君が消えた。
防波堤で一人釣りをする姿が目撃されたのを最後に。

 体育館で友達と話す娘をみつけ、僕はその後マサル君を探していた。
 マサル君。信じられないだろうけど、もうあの土手にはヘビはいなくなって、公園もすっかり変わってしまったんだ。長島選手は終身名誉監督という難しい名前の監督になった。ペスはマサル君がいなくなって1年くらいでやはりいなくなったよ。
 僕は今山登りが好きなんだ。
「何が面白いんだ」
 マサル君はきっとそう言うだろうね。何が面白いのかは僕にも分らない。だけどあの頃、まだ二人だけでキャッチボールしかできなかったころ、あれは僕にはすごく楽しかったんだ。きっとそんな楽しさがあるんだと思うよ。
 マサル君。僕にはあの頃の僕たちと同じ歳の子供がいるんだよ。僕はもうマサル君のお父さんよりも年上なんだ。もうだれも僕を「シゲチャン」とは呼ばないんだ。
 遠くに飛んでしまったボールを拾ってくれただけで友達になったりするようなこともなくて、身分とか収入とか、そんなつまらないもので人を判断したりするのが大人らしいよ。
 マサル君。僕は今でも忘れ物天才のままだよ。いつもどこかに何かを忘れてしまうんだ。
 
 娘はピアニカを演奏して微笑んでいる。
 饐えた匂いの体育館に僕は忘れ物をみつけ、またそれを忘れて帰るのであろう。
 小さき子供たちよ、君たちは全員何があっても大人にならなければならないのだよ。
 僕はそんなことを考えた。結婚生活にも、親子関係にも忘れ物をし、取り返しの付かない後悔を貼り付けて、僕は一人の部屋で、汚れた机の上で、忘れ物リストを作るように文章を書く。
 マサル君。僕たちはまだシンユウだよね。
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by revolver0319 | 2012-10-15 19:22