フリーライターです。書き綴ったものを載せてます。


by revolver0319

寿司と歌舞伎と・・・ スピンオフ。

 ガラス越しに感じられるのはやっと来たかと思える春の陽射し。目の前の藤棚は最近まで枯れ果てたかのような冬の姿だったが、今日は芽吹きの息吹が感じられた。
 その陽射しを浴びながら、窓辺の4人用テーブル席でひとりで親子丼を食べている彼女は、小さな顔を隠してしまいそうな、大きなどんぶりを抱えるようにして、擬音をつけるなら「ムシャ、ムシャ」しかありえないように、何度も口を動かし咀嚼する。健康促進委員会なんてものがあったとしたら「彼女こそ理想です」と、絶賛するくらいによく噛んで飲み込む。それでもぐちゃぐちゃと音を立てるような不潔感はなく、しっかりと口を閉じ、綺麗な動きで食べ続ける。
 小さな顔の割には少し大きめの口がエキゾチックな印象の顔立ちに、膝丈のピンクのスカートに、ベージュのPコート、まるで大好きな映画の絶対に見逃せないシーンを見るかのように、真直ぐ前を向いてもくもくと食べる。その彼女のおかっぱの黒髪は春の陽射しできらきらと輝いている。
 その彼女の姿は大勢の男から見たら好印象だが、ひとつだけ違和感を感じるのは、箸ではなくスプーンで親子丼を食べていることだろう。箸で食べていたら完璧だったであろうが、今時の子らしいスプーンをマイナスと見ても彼女は容姿や食べ方は綺麗だった。
 都内、皇居お堀近くにある大学の学食。380円の親子丼を美しく食べる大学生。それが彼女だ。
 背筋を伸ばし、真直ぐ前を向いて、黒髪を陽射しで輝かせながら食べ終わると、お茶を飲む。どんぶりと湯飲みをトレーに乗せて立ち上がると、食器返却口にそれを置いて。
「ごちそうさまでした」と学食の職員に一言。
 食後は広い学校内を散策しながら、午後の講義が始まるのを待つ。スカートに合わせた磨きこまれたローファーも春の陽射しに輝く。
 獣医学部のある大学構内には多くの動物が飼われている。顔の真っ黒な羊の群れの中に生まれたばかりの子羊が4頭。母親に付いて回る微笑ましい光景に「元気に育てよ」なんて声を掛けてみる。
 授業が終わり、帰り支度をしていると友達から声を掛けられる。
「ねえ。行くでしょう今夜のKコンパ」
 彼女はどんなに怒っている人間の心でもおだやかにしてしまいそうな、満面の笑みで。
「ごめーん。パス。また今度ね」と断る。
「えーっ。たまには顔出してよ。K大生もあなたが来るならって張り切ってるのよ」
 きっと彼女ならどんな大学のミスコンに出ても上位入賞は間違いないだろう。そんな顔立ちで性格もおしとやかなのだから評判にならないわけがない。しかし本人にまったくその気がないから他校とのコンパなどには目もくれないし、明治から続く文武両道をいまだに謳っている校風の学校なので「ミスコン」なんてもってのほかだから、彼女にとっては居心地がいい。
 ひとりで校内の森の中にある音楽堂と呼ばれる教会のような建物に入ると、そこに置かれているピアノの前に座る。蓋が閉じられたピアノの前で背筋を伸ばし目をつむる。
漆黒という言葉がふさわしい磨きこまれたグランドピアノ。金色で「STEINWAY」の文字が輝いている。乾ききった木は埃ひとつなく、そのピアノがいかに大切に管理されているかがわかる。
目を開けた彼女は、蓋を開けると滑らかに鍵盤に指を滑らせ、ベートーベンピアノ協奏曲第5番「皇帝」を奏でるが、すぐに止めてピアノの大屋根を開ける。
そこには目立たないように小さな文字で「寄贈昭和20年『大本由加里』」と書かれている。いつもそれを目にするたびに、終戦の年にピアノを贈ったのだから、財閥かあるいは皇族関係の方なのだろうかと考える。
屋根を開けるとまたベートーベンを弾こうとしたが、気分が違った。カーデガンの両腕を捲り上げると、ビル・エバンスのジャズ「Waltz For Debby」を轢き始めた。
最初はオリジナルに忠実に、徐々にテンポを上げると、大胆なアドリブを加えながら頭を振るように鍵盤を叩く。まるでベートーベンを弾いていたときとは別人だ。
テンポを落としながら原曲に戻るのかと思わせて、最後はボサノヴァにアレンジして、約15分の演奏は終わった。最後の不協和音のサスティーンが消え入りそうなときに、拍手が起こる。
目を閉じて自分の世界に入り込んでいた彼女が驚いてみると、年老いた仏文科の教授が微笑んで拍手していた。
「ごめんなさい」まるで少女のように椅子から飛び降りて、彼女は深く頭を下げる。
 おじいちゃんのような教授は、にこやかに「なにも謝る必要なんてありませんよ。すばらしい演奏だった。エバンスのボサノヴァアレンジなんて初めて聞きました。すばらしい」
「ジャズなんて弾いてしまってすみません」彼女は顔を赤らめてまた謝る。
「なぜジャズがいけないんですか。大いに結構ですよ」教授は微笑んだまま続ける。
「校風や音楽堂の雰囲気で、ここではクラシックしか弾けないと思い込んではいけません」
 教授は何かを思いついたような、いたずら小僧のような笑顔で「いい話を教えてあげましょう」と語りだした。
「そこに書かれている『大本由加里』さんのことです」
「この寄贈してくれた方ですね」
「そうです。みんな良家の子女だと思っていますが、彼女は『口入屋』の女将さんです」
「口入屋ですか・・・。藤沢周平さんの時代小説に出てきましたね・・・。」
「おやおや、藤沢周平を読んでクラシックやジャズのピアノを引くなんて、なんだか大本由加里さんみたいですね」
「そんな方だったんですか」
「そうですね。口入屋は簡単に言ってしまうと建設業なんですがね。当時は口入屋だとなんだかえばったように言っていましたね」
 その大本由加里さんは、初台の農家で育ち、若くして地元の口入屋に嫁いだ。口入屋を興した旦那さんもまだ若かった。その旦那さんが「俺には学がなくていけない。子供に口入屋なんて継がせたくないしな。そこいくとお前は頭がいいから今から大学に行け」と言ってこの学校に優秀な成績入学してきたんです。
 しかし古い校風というのは裏返せば、了見の狭い保守的なだけな人が多い。農家の娘でしかも結婚もしているのに大学なんてもってのほか。どうしてもというのなら、もっと格下の学校にいけばいいって、彼女を排除しようとした力がありましてね。
 それでも彼女は気にする風でもなく、常にトップの成績でいたんです。反対派の人たちはそれも気に障ったのでしょうね。嫌がらせに近いことまで始まりましてね、見かねた学長が間に入って、彼女に成績優秀だから短期間で卒業を認めると言い出したんです。
 つまり卒業できるのだからいいだろうと、彼女を早々に追い出そうとしたんですね。そうしたら彼女は両親や旦那さんに相談するわけでもなく、学長に。
「学長先生。先生は確か長州の出でしたね」
 なんていい始めましてね。
「長州や薩摩のお侍は日本の未来のために御上を倒したんではないんですか」
「きみ、滅多なことをいうものではないよ。御上を倒すだなんて」
「誤解されたらこまります。私たち江戸の人間が言う『御上』はあくまでも徳川さんですよ。天皇はその上の方。御上だなんて軽々しく言えませんよ」
 学長はたじろぐ。
「若いお侍さんたちが、大勢犠牲になって作ろうとした日本は、問題があれば話し合うこともなく簡単に片付ける道を選ぶような国ではなかったはずです」
 学長は女学生にそこまで言われて顔を真っ赤にする。
「国を作り直そうというのは大いに結構。でも、お侍が流した血の上にあぐらをかいて財閥だのなんだのとえばられても困ります。志もなく東京、東京って意味もなく江戸に来る人を『山猿』って言うんですよ」
 優しそうな顔はしているが、江戸時代の生まれの学長は、部屋の隅に置かれているサーベルを手に取った。
「ええい。女子供とはいえ、誰に口を聞いているのか分かっているのか。そこに直れ、叩き切るぞ」
 大本由加里は和服の膝元をぽんと叩いてその場に正座。
「言いたいことは言わせていただきました。どうぞ切るなり焼くなりお好きなように」そういうと懐から女物の短剣を取り出す。
「先生が一振りで首を落としてくれないと、痛みでみっともない姿をさらすかもしれませんから、先生がその刀を振り下ろすのと同時に喉を突かせてもらいますよ。ご勘弁ください」そういうと目を瞑り、短剣の切っ先を自分の喉にあてがう。
 爆発しそうな緊張感が部屋を覆う。生き死にの駆け引きなら学長も何度もしてきたが、それも一昔前のこと。しかも今回は女が相手である。
 そこに騒ぎを聞きつけた守衛が駆け込んできた。
 普通ならそこで大本由加里が学校から追放されて終わりだが、駆け込んできた守衛が厄介なことに旗本上がりで初台近辺をよく知る者だった。
 いくら学長だとはいえ、幼い頃から知る娘を追放させるわけには行かない。どうしてもというなら、私はここで腹を切る。守衛の男はそう言い張った。
「どうせ維新で捨てた命。みっともなく生きながらえてきたがやっと死に場所を見つけた」
 最後にはそんなことまで言い出し、この騒ぎが大きくなったら政府からも大目玉をくらってしまうだろうと考えた学長が折れた。
 そうして彼女はひとりの友達も出来ないまま主席で卒業を迎えた。
「大本由加里とはそんな人なんだよ」
「すごいですね」
 もうひとつ。大本由加里が問題を起こしたことがあるんだ。教授はおかしそうに彼女に説明してくれた。
 学生が一気に増えた戦後。この校舎だけでは賄えなくなってできたのが、おもに理数系の学生が通う神奈川の校舎なんだが、その校舎を建てるときに卒業生から寄付を募ったんだ。すると大本由加里は烈火のごとく怒り出した。
「伝統ある学校を都落ちさせるとは何事か」ってね。
「都落ちですか。凄い話ですね」
 ともかく神奈川に新校舎を建てることに反対した大本由加里は、私財を投げ出してでも都内に校舎を作らせようとしたが、さすがにそれはまずいとなった。それでは戦後にいただいたこのピアノが校舎の狭い教室に置かれているので、大本由加里の寄付金で音楽堂を建てさせてもらおうということになって、この建物が出来たんだよ。
 教授の説明に、彼女は驚いた。
「寄贈ってピアノだけではなくて、この建物もなんですか」
 吹き抜けの高い天井を見上げる。春の陽射しがステンドグラスを輝かせている。

 戦争が終わった年に、食べ物も着る物も何もないけれど、せめて学生には豊かさを持って欲しいと、空襲から必死に守ったこのピアノを大本由加里が寄贈した。大金持ちのはずの財閥系の卒業生はまず自分たちを守ろうとしていたときに、自分たちの家業がどうなるかも分からない暮らしの中で、唯一残った財産を差し出したのだ。
「教授は大本由加里さんに教えていたんですか」
「まさか。僕よりも遥かに年上だよ。彼女がこの学校に通っていた頃に僕はまだ生まれてもいないよ」
「あら。すみません。でもどうしてそんなに詳しく知っているんですか。大本由加里さんのこと。ジャズが好きだとか、時代小説を読むとか」
「ああ。うちにはジャズのレコードや時代小説が沢山あったんだよ。大本由加里さんはね。僕の母だよ」
「えっ」心底驚いたように彼女は教授を見つめる。

 そのとき外で大きなバイクの音がした。しばらくして入ってきたのは革ジャンにパッチだらけの革ベスト。よれよれのジーンズに汚れたブーツを履いた男だった。
「あれ。今大丈夫ですか」男が教授と彼女を交互に見ながら聞いた。
 この男は学校に似つかないハーレーでやってくる調律師で学校では有名人だ。
 男のハーレーがやってくるたびに嫌な顔をする学生も少なくないが、彼女は遠くから見る分には嫌な感情は湧かなかった。
 何でも有名な調律師で、ヨーロッパの有名マエストロから指名されることもあったらしいが、自由に旅をしたいという理由で、好きなときにしか仕事をしないらしく、この大学も年に2回調律をお願いしているらしい。
「音に狂いはなかったようだが」
 教授が調律師に言う。
「一応見ますよ。数少ない仕事ですから」
 そう言ってベストのポケットから音叉を取り出す。いくつかの鍵盤を叩いて、37キーのAを音叉で確認し、チューニングハンマーでいくつか叩く。
「どうだい」教授が俺の耳に狂いはないだろうとばかりに聞いてくる。
「なんでもいいから弾いてみて」調律師は、まるで友達に頼むかのように彼女に言う。
「えっ。私ですか」彼女が聞き返そうとするが、音叉を耳に当てて「早く」と仕草でせかす。
 彼女が「皇帝」を奏でると調律師と教授はじっと聞いている。
「もういいですか」恥ずかしそうな彼女は数分で演奏をやめてしまった。
「確かに狂いはないね」
「そうだろう」
「でもばあちゃん好みじゃじゃないな。クラシックならいいけど、ジャズにはもう少しね」そう言うと調律師はまたチューニングハンマーを振り出し、いくつかの現にウエッジを付ける。最後に確認するように自分でピアノの前に座るとビル・エバンスを弾きだした。
「ほら。ジャズにはこっちのほうがいい」調律師が笑う。
「ここでジャスを弾くのは彼女だけだよ。あとはクラシック専門だ」
 教授の言葉に調律師は。
「それじゃ君のためにこの調律のままにしておこう」と悪戯っぽく微笑んだ。彼女は調律師にとても好感を感じていた。
「もうお分かりだろう。うちの息子だよ」教授が調律師を紹介する。
 いったい何度驚かせられる日なんだろうか。彼女はそうおもいながら悪い気持ちはしなかった。

 バイク乗りの調律師と付き合い始めるのは、それから8ヶ月先のことだった。
[PR]
by revolver0319 | 2012-04-03 18:10