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by revolver0319

描写デッサン

 昭和初期から使われているだるまストーブの上に置かれている、やはり年代物の鉄の薬缶がシュッシュッと蒸気を上げている。
 広さが12畳ばかりの工場の三面に大きめな窓があるから、昼間はじゅうぶんに明るい。窓はサッシなどではなく木枠で出来ているから、するすると簡単には開かず、両手で窓を持ち上げるようにし、ぎしぎしと少しずつ横に移動させる。
 健次郎は毎朝四時に起きると、母屋の寝室から、寝巻きのまま工場に行く。もっとも母屋と工場はふすま一枚で区切られているだけだが。
 暮れも押し迫ったこの季節は工場のストーブを最初につけてから、苦労しながら窓を開けて、冷たくきりきりとした、それでも新鮮な空気を入れて、神棚の水を取り替え手を合わせる。冷たい空気にさらされながら、ぼんやりと“もうすぐ正月か”と考えて、どう過ごすのかというその先に思考は及ばないまま、タバコを一本深く吸い込む。
 窓を閉めて工場の釜に火を入れて、ラジオをつけるとちょうど朝一番のニュースが始まる。一度母屋に戻り、布団を畳む。押入れの中に仕舞う体力はじゅうぶんあるけれど、健次郎は妻を亡くしてから、部屋の隅に押しやるだけで仕舞うことをしない。
 昨日炊いた残りのご飯をジャーからよそい、もらいものの惣菜をおかずに、朝食を済ませる。歯を磨いて顔を洗い、タオルで拭こうとし、そのタオルをずいぶんと換えていないことに臭いで気がつき、そういえばもう三日ほど前から換えなければと思っていたことに気がつく。
 薄汚れたタオルを洗濯物のかごに放り込み、箪笥の引き出しの中から畳まれていないタオルを引っ張り出す。タオルが毎日きれいなものに換わることや、箪笥の中の衣類が畳まれてきれいに仕舞われていることが当たり前だと思っていたが、決して自動でそうなっていたのではないということに気がつく。
「面倒なもんだな」
 健次郎は誰にともなく呟くと、新聞をもって工場に向かい、ラジオを聴きながら虫眼鏡で新聞の記事を拾い読む。老眼鏡も掛けてはいるが、それだけではもう小さな活字が読めなくなってきている。政治にも社会情勢にもスポーツや芸能にもたいした興味はないが、みんなとの会話のときに何も知らないと溶け込めないので、なんとなく頭に入れる。
 もともと口数が少ないほうだから、みんなが楽しそうに話しているのをはたから見ているだけでじゅうぶん楽しかった。妻がいる頃はそれでもよかったが、妻が亡くなってからはそうしているとみんなに気を使わせてしまう。以前と変わらずに、みんなが楽しそうに話しているのをそばで聞いているだけなのだが。
「ほら健次郎さんも入りなさいよ」
 とお節介を焼かれてしまう。だからある程度の世の中を知る必要があった。
 そうこうしていると近所の婆さん連中五人がやって来て、手早く割烹着を身に着けて手ぬぐいで頭を包みこむ。三人は大豆を袋から大きなざるにあけ、極端に大きさの違うものや、虫食いのあるものをより分ける。ひとりは昨日から水に漬けてある大豆を火にかけてゆで、最後に蒸し上げるために蒸篭の準備を。もうひとりは熟成させている納豆の様子を確かめると、藁を煮沸し包む準備をする。
 全員が何十年も同じ作業を繰り返すベテランばかりである。誰もそんな意識はしていないが、無駄のない動きでこなす。最後には全員でざるを囲むように座り、大豆の選定をする。皺だらけの手で10粒ばかりの大豆を手に取り、僅かでもゴミがあれば取り除き、大きさや虫食いを手のひらで確かめる。それを身体の左側に置いた一斗缶の中に入れる。集中しなければ出来ないことだが、五人の婆さんは、手も口も止まることがない。
 嫁や亭主の悪口や町の噂話から芸能人のスキャンダルまで。まるで世界の危機も、隣町の若い嫁の不倫話も同じレベルであるかのように話す。
「昨日から膝が痛み出すんだ」
 ひとしきり噂話が済むと、メインイベントに突入する。
「ありゃ。足は大事にしないと」
「膝なら神菅町の駅前の斉藤さんがいい」
「いやぁ。斉藤さんとこよか新しく出来た根津整形外科の評判のほうがいいぞ」
 新しく出来た根津整形外科は5年前に開業しているが婆さん連中には新しい部類だ。
「お医者に行くほどじゃなけりゃ、うちにシップがあるから帰りに寄るといい」
「それよりもわたしは腰だね。もう3年も病院に通ってるのにちっともよくならないから」
 婆さん連中が楽しそうに病気や怪我の話にはいる頃に、健次郎は母屋で飯を3合炊き、その後に納屋で藁を均等の長さに切り、納豆ひとつぶんの束に結んでいく作業をする。納屋の中は寒いが、長年の経験で辛くはない。ドアを締め切って薄暗い中で、裸電球の下で単調なことの繰り返しは何も考えずに済むからかえっていい具合だ。
 昼近くになると婆さんたちに呼ばれて、工場に戻りみんなで昼飯を食べる。母屋から炊飯ジャーを持ってきてご飯をよそい、婆さん連中が家から持ってきたおかずで食べる。
「健次郎さんこれね」
 食べ終わり残ったおかずをタッパにまとめてくれる。それが健次郎の夕食と朝食になる。
「わるいね」
「なにも、なにも」
 午後の作業が二時に終わり、婆さんたちは作業場の隅々まで掃除をし還って行く。健次郎は軽トラックに納豆を積み込んで、卸先に配って歩く。
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by revolver0319 | 2011-01-31 22:01